京都市東北部クリーンセンター

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コロナ騒動の世の中、家に籠ることも多くなり、みんな断捨離に励んでいるというニュースを目にしたが、まさにそれを実感させる現場であった。f:id:mfujino706:20210626115637j:plain
ゆっくりと流れているベルトコンベアの上に、次から次へと大型ごみを投げ込んでいく。f:id:mfujino706:20210626114156j:plainみんな考えることは同じで、受付には長蛇の列が出来ている。
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我が家に関して言えば、蔵の奥の押し入れに有ったものを処分した。押し入れの前には電気製品やらこたつやらが置いてあり、押し入れは長年開かずの間状態であった。横90cm奥行60cm高さ180cmが4つあり、そこ一杯にあったのは期待していたお宝ではなく、全て蒲団であった(厳密には3つだけで、残り一つに何が入っているかは分からない)。
「お客さん上ふとん」と書かれているように、良い品物だったと思うがいかんせん50年以上この状態のまま格納されていたと思われるので、使い物にはならない(敷かれていた新聞の日付は昭和35年であった)。数えてみたら40近くあった。

昔はお客さんをもてなすことが重要であったらしく、蔵には蒲団以外にもお膳、お茶碗、食器、座布団などが収納されている。例えば、お茶碗は20客もある。
今のように外食するのではなく、仕出しを取ってもてなしていたことが想像される。

鳥羽伏見の戦い勃発の地・小枝橋

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慶応4年(1868年)1月、大坂方面から御所を目指して鳥羽街道を北上してきた幕府軍と薩摩軍がこの地で対峙し、通せ、通さぬと小競り合いを繰り広げていた時に突如大砲が放たれ、戦いが始まった。
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地元の人が建てたと思われる小枝橋の石碑だが、残念ながら判別できない。

f:id:mfujino706:20210611141337j:plain薩摩軍はこの先の城南宮に陣を張っていた。

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愛宕神社の常夜灯と思しき石塔。

今から約150年前くらいの出来事である。

夏越の祓い

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6月30日は半年の穢れを祓い、残りの半年の無事を祈る夏越の祓い神事が、各神社で行われる。最近では茅輪くぐりも定着してきたようで、長蛇の列となる。
夏越の祓いに関しては、このブログで毎年のように取り上げているので、
そちら
を参照されたし。f:id:mfujino706:20210626121558j:plain
30日の当日だけでなく、その前何日かから設置している神社も増えてきた。f:id:mfujino706:20210626121527j:plain
こちら上賀茂神社はさすがに参拝客が多い。

f:id:mfujino706:20210626171513j:plainそれに引き換え、地元の下御霊神社は、、、。f:id:mfujino706:20210630132044j:plain
この日だけに食べるというお菓子「水無月」。写真はないが、こちらも列をなしていた。
6月30日 - 藤野正弘の京都まち暮らし

板戸のある民家

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少し奥まった所に有るので、うっかりしていると見逃してしまいそうだ。
大変によくできた板戸で、養源院の俵屋宗達を彷彿させるというのは、言い過ぎだろうか!?
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鬼門除けとして南天の鉢が置かれている。

京都と映画

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明治30年に旧立誠小学校跡で、日本最初の映画の試写会が行われたので、京都は日本映画発祥の地と言われている。
最盛期には多くの撮影所が存在し、特に太秦は東洋のハリウッドと呼ばれていた。

撮影所だけでなく、昭和40年には多くの映画館があったことがこの新聞広告(片付けをしていて見つけた)を見れば良く分かる。

懐かしい映画のタイトルもたくさんあり、マイフェアレディはこの時代だったのか!?
南座では、女剣劇大江美智子が出演している。

映画館の案内の左にある小林旭主演映画に「総天然色」とあるのも懐かしい。モノクロからカラー映画に移行する間に、「パートカラー」と言う映画があったことを思い出した。