2010-04-01から1ヶ月間の記事一覧

宇治橋

古より宇治川は流れが速く、京都から奈良へ(あるいは奈良から京都へ)の交通の要衝が宇治橋であった。歴史や物語にその名は刻まれている。源義経軍が木曽義仲軍を追いかけて京へ攻め入ろうとしたとき、宇治橋が落とされていて渡ることが出来なかった。そこ…

建仁寺・両足院

ちょっと古い話ではあるが、今年の正月だけ特別公開していた建仁寺塔頭の両足院にお参りしてきた。お目当ては長谷川等伯の襖絵(水辺童子図)と伊藤若冲の鶏の絵(雪梅雄鶏図)である。両方とも撮影禁止のため、残念ながら写真はアップできない。 主なお庭は…

大原口

洛北八瀬、大原からの入口だから大原口と呼ぶのだろう。ここの道標は大きくて見やすい。慶応年間に設置されたと読めるが、鞍馬まで2里半、比叡山と愛宕山はそれぞれ3里とあるから、この辺りが京都盆地の東西の中心だと思える。金閣寺まで30丁とあるのをはじ…

115年目の閉店・寺内

かつては四条河原町の四条通を挟んで北と南に2店舗を構えていた、「宝石の寺内」が閉店してから半年余り。旧の役員達が中心となって、四条烏丸に新しい店を出した。オフィス街ということもあり、以前のようなセレブ相手ではなく、若い人もターゲットにしてい…

丹波国亀山藩京屋敷跡

丹波亀山藩は京都の北西に位置し、山陰道の入口として重要視されていた。一時明智光秀の居城となり、本能寺へはそこから出陣している。明治になって亀岡と改名された。その京屋敷跡には亀山稲荷なる祠が建てられている。そのいきさつは高札に書かれているが…

羅城門跡

平安京を南北に走るメインストリート朱雀大路の南端に位置した羅城門は、文字通り都の玄関口であった。しかし暴風雨で倒壊してからは荒廃が激しく、鬼が棲むと噂されるようになった。渡辺綱の鬼退治や今昔物語、近年では芥川龍之介の小説「羅生門」で、その…

京都ゴルフ倶楽部

この風景はプレーする人だけが享受できる至宝である(やや大げさか?)。童謡「春の小川」はこんな景色を見て、書かれたのではと思ってしまう。 小さくてよく見えないが、中央桜の下に鹿がいる。ゴルフ場の周りは上賀茂神社の神域で、鹿が生息しているようだ…

池坊学園・一重彼岸枝垂桜

池坊といえば華道の最大流派のひとつであるが、学校まで持ってしまったのがこの学園である(決してお花の授業だけではないが)。その中庭に一本の桜の木がある。桜守として有名な十六代佐野藤右衛門さんの寄贈で、数年後にはキャンパスの新名所になるであろ…

随心院・はねず踊り

はねずとは、うすべに色のことを指し、随心院の紅梅もこの名で呼ばれていた。深草少将が小野小町を慕う余りに百夜通いの悲願をたてたが、99日目の大雪の夜に代人を立てたので恋に破れた伝説を主題としているのがはねず踊りである(99日目に疲労で死んだとの…