2010-09-01から1ヶ月間の記事一覧

皇女和宮生誕の地

孝明天皇の妹で、後に政略結婚で徳川家茂に降嫁した和宮の生れた場所である。婚約者がいながら朝廷のためを思い、関東に下った心持をみなが憐れみ、いまでも時代祭りの主役の一人である。その恨みを晴らすべく(?)婚約者の有栖川熾仁親王が、鳥羽伏見の戦いで…

西本願寺太鼓楼

新撰組は池田屋事件以来評判が上り、幕府から多額の報奨金も出て、新たに参加するものも増え壬生が手狭になったため、西本願寺のこの辺りに新たな本陣を構えた。しかし大砲や小銃の訓練はお念仏とは相容れず、困った西本願寺が新しい本陣を建築して提供する…

ろうじ

この奥に何軒もの家があるなんて信じられないかもしれないが(上の写真には8軒、下は5軒)、これがろうじである。路地とは呼ばずろうじと呼ぶ。時にはろーじであり、ろおじのほうが京都の人には耳慣れている。京都中いたるところにあるが、このように街な…

赤門正覚寺

都会ならどこにでもありそうなインターネットカフェであるが、、、。 よく見ると、お寺とある。昨日の正覚寺と同じ名前ではあるが、関係性や赤門の謂れは分からない。蛸薬師通と裏寺町(以前にも書いたが、秀吉の都市計画によって集められたお寺の一群がある…

正覚寺

小川通丸太町を上ったところにある、京都ならどこにでもありそうなお寺である。このシリーズを始めて改めて思うのは、有名寺院でなくこのような市井の(?)お寺さんが、自分の言葉でこのような法語を掲示していることの驚きである。お寺が地域から遠い存在…

夏のすごし方

「家の作りやうは、夏をむねとすべし」と徒然草にもあるように、日本の家は夏向き(夏対策)に作られている。我が家でも夏になると襖や障子を外し、葦戸(よしど)を建てる。また畳に代わって籐むしろ(とむしろ、と呼ぶ)をひく。 六畳間と八畳間の間の襖を…

三大明神?

高倉六条を上ったところに小さな祠があった。梅春、高市、荒熊の三大明神が祀られている。もとよりいわれなど知らないが、こんな小さなところに三つも合祀されているのは、地域の人だけに関係があるのだろうか?熱心に掃除をしていた人に聞けばよかったかも…

富岡鉄斎邸跡

富岡鉄斎は明治維新の後、各地で神職を務め、47歳のときにこの地に居を定め、画業に専念した(「京都府庁界隈歴史を歩く」より)。室町の一条を下ったところにある。 我が家の衝立である。なんとここにも鉄斎の扇面が表装してある。プロの人に言わせるとこれ…

養蓮寺

京都にしては、なかなかモダンな建て方のお寺である。五条烏丸をすこし南東に入ったところにあり、下京税務署の斜め前である。

京都守護職上屋敷跡

京都守護職は幕末の京都の治安を守るため、京都所司代などの上に置かれた。僅か6年で江戸幕府が崩壊したので、その後には現在の京都府庁が建っている。石碑はこの門を入った右手にある。 この旧本館(重要文化財)の中庭は隠れた桜の名所で、京都守護職松平…

旧西陣電話局

20代で没した建築家、岩元禄は3つの作品を残すが、現存するのはこれが唯一のもの。大正期の建築史を考察する上で貴重な作品。(「京都府庁界隈歴史を歩く」より)

佛光寺aug2010

樋屋さんの看板

何気なく町を歩いていたら、こんなものを発見した。側面に、「トユ 中村」と切り抜き加工してある。樋屋さんゆえ、お手の物かもしれない。この看板?にあるように、「トユ」のほうが響きがいいし馴染みもある。京都だけの呼び方なのか?他の地方ではどう呼ぶ…

水戸藩邸跡

護王神社の北、京都御所蛤御門近くにこの高札がある。幕末、京都での水戸藩士の活躍といえば、伏見寺田屋事件くらいしか知らない。桜田門外の変の主役が水戸浪士だったということが、その遠因にあるらしい。

黄金の豚・ミスラッキー

河原町二条を上ったところに、このような置物が。なかなか愛嬌があり、滅多に見かけないオブジェだが、設置場所を見ると納得できる?シュールでちょっと引く人がいるかもしれない、、、。