2011-04-01から1ヶ月間の記事一覧

源融・河原院跡

光源氏のモデルとなったといわれている源融の屋敷跡だと高札にはある。大邸宅であったのでかならずしもここが中心ということではないが、榎の木がこの屋敷の名残と言われているらしいので、五条大橋西詰めを下ったこの地に高札が建ったというのではなかろう…

大遠忌始まる

親鸞聖人750回遠忌法要が西本願寺で始まった。震災の影響で多少変更された部分はあるが、全国から多くの門徒が参拝に訪れている。街中で彼らを見かける機会も多くなった。 本願寺界隈の案内板も探せばこのように見つかった。 ] 京都駅前ではこのような光景も…

こちらが本物?不動堂村屯所跡

新撰組最盛期(そして最後)の屯所があったのがこの辺りである。その当時の住所で言えば、葛野郡不動堂村ということになる。それより遡ること数百年前は、八条院町と呼ばれ鋳物生産が盛んな地であった。さらに平安京では左京八条二坊十五町にあたったとのこ…

切通し進々堂

祇園花見小路の一本西の通りが切通しである。四条切通しの角にあるこの店は一見どこにでもありそうな店ではあるが、外観からは窺い知れないここだけのものを持っている。 店内は普通の喫茶店であるが、壁にはこのように舞妓さんの名前がずらり。おそらく店出…

またも消え行く京町家

一ヶ月前に通りかかったらこのような看板が目に付いた。 場所は中京税務署の前。 建築主が表札と同じ名前だったので、売却ではなく立替なのだろうが、 もったいない気がした。 丁度一ヶ月後の姿である。

隠れた名所?

京都地方裁判所と御所南小学校の間の竹屋町通は、過去にも書いたようにソメイヨシノと紅枝垂桜が向かい合って咲く珍しい光景が見られる隠れた桜の名所である、と思っている。 どこから聞きつけたか、最近では遠方から来たと思しき地図を片手の見物客も見かけ…

京都慶応義塾跡

京都に慶応義塾があったことはあまり知られていないが、東京の分校として明治7年に開設された。場所は現在の京都府庁敷地内で、正門を入った左手すぐにある。思うように生徒が集まらなかったので1年で閉校になったと府庁の守衛さんが話してくれた。

知恩院

この震災を受けて遠忌も一部で延期になったことは前述したが、西本願寺では9日からほぼ予定通りに始まった。京都新聞の記事より 因みに遠忌は西本願寺では「おんき」であり、東本願寺「えんき」とは違い浄土宗と同じである。御影堂は「ごえいどう」でありこ…

常行寺apr2011

仏光寺通高倉西入るにある洛央小学校の隣にあるお寺である。 平易な言い回しではあるが、奥が深いせいか、意味がよく分からない。 まだ修行が足りないのだろう。

桜満開・絶好調

京都の桜は木曜日頃から一斉に咲きだした感がある。表現は正しくないかも知れないが、「絶好調」である。 哲学の道、祇園白川、山科と疏水の桜はどこも有名であるが、ここ北白川疏水は哲学の道の北に位置しながら、人出も少なくゆっくりと鑑賞できるスポット…

京都友禅蒸水洗工業協同組合

京都らしいというか、こんな組合は他都市には絶対ないだろう(多分金沢にも)。 着物の製作は分業で行われているので、いろんな工程でいろんな職人さんが仕事をしている。 手書き友禅染も、白生地(絹)に下絵を描く、書いた線に糊を置く、色を挿す(中略)…

龍馬暗殺の真犯人!?

大河ドラマは終わったばかりだが、龍馬の人気は衰えることがない。暗殺犯は誰かという謎解きは当時からあったようで、新撰組や幕府見廻組、薩摩藩、土佐藩、紀州藩の名前も出ていた。新しく発見された土佐藩下級武士樋口真吉の日記には、龍馬暗殺のことが記…

ホテルフジタその後

赤坂プリンスホテル(赤プリ)が3月31日をもって営業を終了したとの記事が出ていた。サラリーマン時代東京支店が赤坂にあったので、ときおりお茶などを飲みに言ったことが懐かしく思い出される(確かプールを利用したこともあったかな?)。 その赤プリが避…

桜祭り

大変なことが起こったけれど、季節は確実に動いている。地震を起こすのも自然だし、桜の花を付けるのも同じく自然の成せる業である。 たまたま目に付いた下京区の3学区の掲示板にも、お花見会や桜祭りのポスターが貼られている。2番目の学区が地震のため中…