2012-09-01から1ヶ月間の記事一覧
このシリーズは、お寺や教会等の法語・訓語の中から、 印刷されたありきたりのものではなく、自分の言葉や考えが 表現されているものに注目して選んでいる。その意味でキリスト教会は聖書からの引用が多く、 天邪鬼の僕は余り興味をそそられない。 書き手の…
京都の町ならどこにでもある仁丹の地名表示板である (これを研究している町の専門家はたくさんおられる)。 どこが変わっているかは、こちらと見比べてほしい。旧の字が旧字体になっているのは時代を表わしているので、別に驚くには当らない。 仁丹の商標が…
お茶屋さんが軒を連ねる祇園町の中に こんな暖簾を掲げた店が、、、。 いわずと知れた佐川急便であるが、街の景観を損ねないようにとの 気配りか、暖簾がなければなんの店だか分からないほど溶け込んでいる。 狭い祇園町の石畳には、飛脚マークの大型トラッ…
2011年5月 歌津地区のこの場所はご覧のような山の中であり、 この背後は峠になっている。 川を遡ってこんなところにまで津波は押し寄せたのである。2011年5月 2012年8月我々に課せられた作業は、交通の激しい幹線道路沿いの歩道を 通れるようにして、小中学…
京都の町家には、出窓風のショーウィンドーとも呼ぶべき空間を持っているところが多い。 その中でも特に商売とは関係なさそうなものに注目してみる。 少し前の撮影だが時節柄、祇園祭長刀鉾がモチーフとなっている。
秋分の日と言えば9月23日に決まっていたと思いきや、 今年は22日がそうであった。 なんでも116年ぶりだそうだが、日食ほど大騒ぎしないのは なんでかな?お彼岸と言うこともあり、今日お墓参りに行ってきた。 午前中はあいにくの雨であったが、東大谷さんに…
「非常持ち出し袋」を整理していたらこんなものを発掘(発見)した。 昭和54年(1979年)製のボンカレーである。 「ボンカレーは2年間おいしくいただけます」と記載されているが、 30数年は想定していなかったのだろう(当たり前!)。 当時住んでいた西船…
いつも通る道筋で何か工事をしているなと思っていたら、 こんなおしゃれな店ができていた。 最初は女性向けのファッションかアクセサリーの店かと思っていたが、看板を見てみると本屋さんであった。 中に入ってみればこのような感じで(許可を得て撮影した)…
この拙いブログに目を留めていただいた方からお誘いを受け、 まいまい京都でガイドを務めることになった。まいまい京都とは、京都の住民がガイドする、京都まち歩きのイベントで、詳細はこちらから。この秋は全125コースという大きなイベントで、みなさん…
この拙いブログに目を留めていただいた方からお誘いを受け、 まいまい京都でガイドを務めることになった。まいまい京都とは、京都の住民がガイドする、京都まち歩きのイベントで、詳細はこちらから。この秋は全125コースという大きなイベントで、みなさん…
5年ほど前だと記憶しているが、近畿労働金庫の貯金箱を手に入れた。 直径10cm、高さ10cmのアルミ製で、「儲けない金融機関」と書かれている。 ここに500円を貯めればどれくらいになるだろうかと気軽な気持ちで500円玉貯金を始めた。 すぐに飽きると言わ…
8月上旬に、仙台から南三陸町、気仙沼と周り大島に一泊した。 同行してくれたのは、昨年のボランティアバス第8陣のメンバー6人である。大島を巡り、美味しいものを食べ、気仙沼みなと祭りで復興屋台を訪ねると言う 全くの観光旅行であった。とはいえ、昨年の…
京都の町家には、出窓風のショーウィンドーとも呼ぶべき空間を持っているところが多い。 その中でも特に商売とは関係なさそうなものに注目してみる。 ここの飾り窓は、いつも季節感が溢れていて好感が持てる。
相国寺境内にある宗務本所の右手の門をくぐると、 石畳の道が続き、その奥に承天閣美術館がある。 このときは伊藤若冲特別展をやっていた。看板にあるような極彩色の絵(釈迦・文殊・普賢三尊像)だけではなく、 若冲が描いた金閣寺の襖絵(鹿苑寺大書院旧障…
京都の町家には、出窓風のショーウィンドーとも呼ぶべき空間を持っているところが多い。 その中でも特に商売とは関係なさそうなものに注目してみる。住む人のセンスがしのばれる出窓である。
この石碑がなければ、とてもお寺とは思えないだろう。 門構えや建物、蔦の絡まる塀はどうみても普通の(というよりお屋敷風)民家である。生類憐れみの令で悪名高い五代将軍徳川綱吉の生母、桂昌院の生家の菩提寺であると石碑にはある。 桂昌院(本名 玉)の…
町歩きをしていて、ちょっとした路地(京都ではろーじと呼ぶ)があったので 入ってみたところ、突き当りがこのようになっていた。 以前はこのあたり一帯は池であったのだが、昭和初期に干上がってしまい 島であったこの場所に神社を移したということで、比較…
ここには以前青木能楽堂という瀟洒な町家があった様な記憶があるが、 建て替えて名前も変えたようである。「京都はその町の規模に対して、能舞台や能楽堂の多い土地です。いうまでもなくその歴史的な経緯が大きな理由ですが、町衆が大いに能を愛好し、現在も…