うなぎの寝床

京都の住居(特に町家)は、間口が狭くて奥行きが長いのが一般的である。
これをうなぎの寝床と呼んでいる。

794年の平安京造営の時に、唐の長安に倣って条里制で碁盤の目の街路を作ったのが始まりである。(四条通や錦小路、室町通高倉通など基本的にはその当時の名前が大部分そのまま残っている。)その後豊臣秀吉が大改造し、現在の町並みとなっている。
街なかでは、1街区が南北約150m、東西約80mで形成されている。


以前(秀吉の時代?)は、税金が間口の広さによって課せられたため、必然的に間口が狭くて奥行きが長くなったと言われている。(我が家は間口4間、奥行き17間である)
これを「うなぎの寝床」のようだと形容している。


因みに自治組織の単位である町内は、ブロックごとではなく通りを挟んだ向かい合った家々が基本である。(向こう三軒両隣的な)両側町と呼ばれるスタイルで、背中合わせは別の町内となる。

最近出来たばかりの郵便番号制度が京都で馴染まないのはこのためである。このことは別の機会に触れたい。