足利尊氏邸跡



足利尊氏の屋敷は高倉御池を下ったところにあったらしい。先に紹介した在原業平邸とは10mと離れていない。もちろん時代が違うので会ったことはないはずだが、なんとなく面白い。
足利尊氏といえば、今年の時代祭りから「室町時代」が加わったとの由。戦前、特に時代祭りが始まった明治中期は尊皇の空気が強く、足利尊氏は逆賊であり、時代祭りにも加えてもらえなかった。120年ぶりの新人の登場である。


10月22日の時代祭りは京都御所建礼門前から出発するが、それに向けて山国勤皇隊が堺町御門から御所に入るところ。
錦の御旗は鳥羽伏見の戦いのときに官軍の智恵者(岩倉具視か)が急遽作らせたもので、これを見た幕府軍は「朝敵になった」として一挙に戦意が喪失したという曰くつきのものである。