本願寺水道

東本願寺は江戸時代に4度の火災に遭って焼失し、その都度全国の門徒の力で再建された。現在の建物は明治28年に完成したが、二度と火災焼失を起こさないようにとある防火設備が施された。完成したばかりの琵琶湖疏水(日本で最初の水力発電や市街電車を走らせて京都の近代化に大きく貢献した)の水を東本願寺まで引いて火災に備えた。琵琶湖疏水と同じく田邉朔郎の設計による当時の最新の技術が用いられた大事業であった。
琵琶湖と東本願寺との高低差52.8mを利用して、自然水圧により御影堂の屋根まで水が噴きあがるという、なんとも壮大な防火設備である。


<この噴水も本願寺水道を利用していた>
蹴上で一旦貯水し、その後専用の水道管(直径30cm)を、三条通、白川沿い、四条通、大和大路、五条大橋河原町通りをへて東本願寺まで地面の下を走っている。工期は3年、14万円の費用(当時の京都府の予算が60万円というから、その規模が推し量れる)をかけて明治30年に完成した。


<専用のマンホールを建仁寺前の大和大路で見ることが出来る>
現在はご覧のように鋳鉄管の老朽化が進み、漏水もあり1年ほど前から取水を止めているらしい。


<唯一配管の模様を見ることが出来る五条大橋の下>
京都にはこれと同じものがもう一つある。それは御所水道と呼ばれ、京都御所まで引かれている。琵琶湖の水だと言う証拠に、御所や枳殻亭(本願寺水道)の池に外来魚のブルーギルなどが生息し、生態系を乱しているらしい。近年この自然水圧を用いるという本願寺水道が注目を集めていると同朋新聞(東本願寺発行)に書いてあった。