鬼門

日本では、方位学的に見て北東を鬼門とする思想があり、その場所には造作を避けるという習慣が昔からある。平安京は風水に則って造られ、鬼門(北東)には比叡山延暦寺を配し、裏鬼門(南西)には岩清水八幡宮が鎮座し、都を護っているという説がある。平安京造営計画当時、延暦寺は草庵がごとき建物であったはずで、この説は後日作られたのではないかと思うが、これ以上の知識がないので碩学の意見を待ちたい。

ただ、京都ではこの考え方が現代でも皇室のみならず庶民の間にも根付いている。京都御所北東はこのように塀が引っ込んでいて、この上には猿の木造が安置されているので、ここを猿が辻と呼んでいる。


この旅館も同様で、こちらは裏鬼門に当たる。


この旅館は鬼門に当たる場所がこのようにくびれている。



一般の木造建築のみならず、ビルを建てるときにもこのように鬼門の位置を明示してあるところが、京都らしい(街中を歩けば、このように鬼門の位置に白砂が施されているビルをいくつも見ることが出来る)。