伊東甲子太郎暗殺の地




新撰組の隊士で、一派を成していた伊東甲子太郎は、後に近藤勇たちと意見が会わず、新たに御陵衛士と呼ばれるグループを形成し、高台寺党を名乗った。これを快く思わなかった近藤たちは、宴席に招待し酒で酔わせた後に暗殺してしまった。そしてその死体をわざと放置して、引取りに来た高台寺党一派を待ち伏せし襲撃した。これをその場所に因んで、油小路七条の変と言う。その現場がこのお寺(本光寺)の前である。
時代で言うと明治維新直前で、いまからたった(?)140年くらい前の出来事である。お寺も当時と変わらぬ場所にある。そのような歴史の表舞台が、ひっそりとなにげなく存在するのが、京都の魅力のひとつかもしれない。