随心院・はねず踊り


はねずとは、うすべに色のことを指し、随心院の紅梅もこの名で呼ばれていた。深草少将が小野小町を慕う余りに百夜通いの悲願をたてたが、99日目の大雪の夜に代人を立てたので恋に破れた伝説を主題としているのがはねず踊りである(99日目に疲労で死んだとの説もある)。江戸時代に始まったこの踊りも大正時代に一旦途絶えたが、地元の人たちによって昭和48年に復活し、毎年3月の最終日曜日に行われている。





この日は地元の小学校高学年の少女たち22人が可憐な踊りを披露した。観客はおよそ3500人で遠くは北海道や沖縄からの観光客やオーストラリアやニューヨークからの外国人観光客もいた。



さらには今様や千本ゑんま堂大念仏狂言も演じられ、梅と桜の下で華やかなひとときが過ぎていった。