明智越え


亀岡から愛宕山の麓を通り、保津峡を経由して嵐山に至る道は「明智越え」と呼ばれ、
ちょっとしたトレッキングコースとなっている。
今年のGWに友人のK君との恒例山歩きをこのコースで行った。

名前の通り、亀山城主(亀岡は当時亀山と呼ばれていた)明智光秀が西国攻めの際通った道の一つで、
途中から方向転換して京都の本能寺をめざしたというのは、余りにも有名である。
明智隊は三手に別れ主力は老の坂越え、別の一隊は唐櫃越えで京を目指した。
いまでも人一人が通れるかどうかの間道でこんな道をよう通ったなあと思う。
ここを馬に乗って通ったかと思うと先陣から殿まで長い行列だったと想像できる。
仮に先頭で戦が起こっても後ろのほうではどうするすべもなかったのではなかろうか?
歴史は現代の尺度で見るのではなく、当時の実態を把握して考察すべきであるといわれるが、
この道を見てその意を強くした。


もともとは愛宕山への参道でもあるので、その名残の古びた灯籠が立っていた。

ここから入口となる。


途中は案内看板も整備されていて、歴史を学びながらのトレッキングができる。
写真にはないが、一度だけ京都市内が見渡せるスポットがあった。
明智光秀がそこから京都を眺めたとすれば感慨も深いが、多分老の坂を通ったので、
残念ながらそれは幻想であろう。

入口から保津峡まで3時間強の行程であったが、この間すれ違った人はゼロであった
(正確に言えば、ランニングそしている男の人ひとりに追い抜かれただけである)。
歴史を感じさせるなかなか趣のある山歩きであった。