2012-12-17 三栖閘門 京都の中の明治・大正 京のまちかど 閘門とは聞きなれない言葉かもしれないが、水位の異なる川や運河の間を 船が通ることができるようにする設備である。 パナマ運河を想像してみればいいかもしれない。古くから京都と大阪の間は淀川を利用した水運が盛んであった。 伏見は京都の玄関口として栄えていたが、大正時代に始まった淀川の堤防工事により、 伏見港と淀川の間の通行が出来なくなったため、ここ三栖の地に閘門が造られた。陸上交通の発達などにより三栖閘門はその役割は終えているが、 現在は資料館が建っており見学可能である。