防空壕・衛生掃除

旧知の新聞記者から「今でも防空壕の残っている家を知らないか」と尋ねられたので、
それなら家に残っていることを思い出し、取材に応じることになった。

内玄関と呼んでいる三畳の間の荷物をどけ畳を上げると、
このような穴倉が出現した。
幼い頃は町内総出で「衛生掃除」というものがあり、
その時にこの防空壕は見聞きしていたが、
昭和30年代にはその習慣も廃れ、それ以降畳を上げて
防空壕を見るということはなかったように思う。

母親からは、「こんな狭いところに入ったら、蒸し焼けになってしまう」と
聞かされたことを覚えている。父と母は赴任地である富山で空襲に遭った
経験があるので、肌身で感じていたのだろうか。

因みにhttp://www.kyobunka.or.jp/phot/chonai.html:TITLE=衛生掃除とは戦前より続く風習で、梅雨が明けた夏のある日、
町内が一斉に家の大掃除をするのである。その時は祖父の勤めていた
店の丁稚さんが多数手伝いに来てくれ、畳をたたいたり天井を拭いたりと、
日頃できない場所の掃除を徹底的にしたものである。

僕も小さな体で畳を表まで運んだり天井裏に登ったりと、
いっぱしに手伝いをした気分になっていた。
畳の上った部屋の前で床下を見ながら、皆さんとおにぎりをほおばったことまで思い出してしまった。
疫病対策が目的だったせいか、埃をはたき乾かした畳を入れる直前に、
床下にDDTのような薬剤を噴霧したことも思い出した。

その必要性が薄れてきたためか、あるいは町内で一斉に行うことが
困難になってきたためか、気が付けばその風習がなくなっていた。
各戸で一斉に畳をたたく音が聞こえなくなって久しい。

京都のことしか知らないが他都市ではどうだったのだろうか?