富野先生最終講義


富野暉一郎教授が70歳の定年で、この3月末をもって龍谷大学を去られる。
先生には社会人院生の時教えていただき、修士論文の副査も務めていただいた上、
その後もNPO関連でたくさんお世話になった。
その最終講義があったので聴講してきた。

「4つのキャリアを楽しむ」という題で、ご自分の半生を振り返っておられた。
小学校3年の時から天文学者を目指され、京大の物理、東大大学院と10年間銀河系外天文学を学んできたが、
お父様の死去により家業である精密機械工場を引き継がれたのが30歳の時。物理の知識を活かして、
ゴミ処理設備の特許を取り経営に邁進していた時に、米軍池子弾薬庫跡地問題が起き、
市民運動出身の逗子市長を8年務められた。
その後、島根大学5年を経て龍谷大学で16年教鞭をとってこられて、
この日の最終講義を迎えられた。

脈絡なき人生と謙遜されているが、そこに流れているのは、
「オープンマインドと楽天的なものの見方」であり、変わらぬマイルドな語り口にも、
決して上から目線でない人柄が滲み出ていたいい講義であった。