東北紀行その3・南三陸町

志津川地区は2年半前に訪れた時とほとんど変わっていないという気がした。
変わったことといえば、復興に向けた真新しい電柱と新築ビルが1棟だけ目についた。
それに加えて、巨大な盛り土があちらこちらに出現しているのに驚かされた。
相変わらずといえば、防災対策庁舎が名物となり観光バスまでが横付けされていたこと。

何の被害も受けていない個人としては、津波を忘れないためにも広島の原爆ドームのように
遺産として残してほしいと思うが、現にその場所で家族を亡くされた遺族が嫌な思い出を断ち切るためにも
解体してほしいという気持ちも分かる。ここに限らず難しい問題である。

ボランティアバスの時に何度かお世話になったボランティアセンターも訪ねてみた。
「平日ですから少ないです」と言われたが、この日もボランティアが入って活動していた。
週末には企業や団体から数十人が今でも駆けつけているそうな。
主な作業は漁業支援らしい(牡蠣の殻むき等)。

ところがテントの建っている場所に道路が通るので、
3/15日をもって別の場所に移転するとのこと。
そういえば隣に建っている南三陸町役場は2年半前は(仮)が付いていたが、
今ではそれもとれていた。
今後この辺りが町の行政の中心部になるのかもしれない。