あきまへん、民泊!


江戸時代後期には60軒ほどあったという伏見人形の窯元だが、残っているのはここだけである。


その丹嘉にほど近い伏見街道(京都から見た呼び名。伏見では京街道)沿いでは、民泊反対の看板が目立つ。