京都国際フランス学園

明治2年に、天皇が「ちょっと江戸に行ってくる」と言ったまま帰ってこられなかったので、
京都の人口も大きく減少し(35万人→20万人)、町が寂れてきた。

そんな街を復興するには人材だ、ということで、町衆が土地、資金、資材を投入し
街中に64の小学校を作ったのを「番組小学校」というのは、よく知られた話である。

そんな由緒ある小学校も都心の空洞化により人口が減少し、多くの地区で統廃合が行われてきた。
我が家を例にすれば、通っていた小学校は自宅から西に徒歩で2分、東に行けば5分で別の小学校に着く。

廃校になった小学校は跡地活用が計画されているが、前述の町衆が資材を投げ打って設立されたという経緯もあり、
おいそれとマンションや商業施設に売ることも出来ないというのが、京都の特殊事情である。

そんな学校の一つが旧有隣校。
いまではフランス学園に変身した。

下校時に父母がお出迎えに来るのは日本と同じだが、
見ていた時はおしゃれなお父さんが多かった気がする。
子どもたちも、フランス語と日本語のバイリンガルであった。
ある種、京都の中の異界という気がしないでもない。