金福寺

詩仙堂圓光寺とくれば、金福寺にも足を延ばせねばなるまい。

与謝蕪村のお墓があることでも知られているが、

このお寺で詠まれた俳句の一部が高札に記されている。
この中では、「鳥羽殿へ五六騎いそぐ野分かな」を覚えているが、
学校で習ったのだろうか?

蕪村が再興して芭蕉庵と名付けられた。
落成した時に詠んだと言われるのが、これである。

耳目肺腸 ここに玉巻く 芭蕉

蕪村の弟子で、後に四条派を興すことになる松村呉春の墓もある。