醍醐天皇・朱雀天皇陵

住宅街の中に突如として天皇陵が出現するのは、京都では珍しくもないが、当時としては山一つ越えた山科の地はさぞ天皇が眠るのには相応しかったのかもしれない。
ここより南の木幡は平安貴族のお墓があったようである。f:id:mfujino706:20201128153953j:plainf:id:mfujino706:20201128154002j:plain
醍醐天皇後山科陵
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朱雀天皇陵醍醐陵

醍醐・朱雀・村上天皇の御代は天皇親政が行われたとして、後世「延喜天暦の治」として後醍醐天皇はじめ多くの人に崇められた時代であるが、僕にとっては源氏物語の時代設定として使われたことの方が興味深い。