ウトロ平和祈念館


宇治市ウトロ地区は、戦前この地に京都飛行場を建設する際、朝鮮人労働者の飯場を設置したのが始まりで、戦後飛行場建設は中止になり、土地の主権者によって立ち退きを迫られた町である。
最高裁まで行った裁判の結果住民が敗訴したが、その後国連社会権規約委員会が救済を勧告したこともあり、韓国国内で支援運動が開始され、最終的には韓国政府の支援もあり、土地の一部を買い取ることができたのが2007年である。
その間劣悪な生活環境での暮らしを余儀なくされ、日本社会から「置き去りにされた」朝鮮人のまちだった(パンフレットより)。


ウトロの歴史を記録し未来へとつなぐ記念館として、ウトロ平和祈念館が開館したのが2022年4月。その1周年に合わせるように、多くの市民の寄付によりおひさま発電所が完成し、点灯式が行われた。式典では、気候変動は貧困や紛争、テロにつながる人権問題であり、環境問題は実は人権や差別につながることを確認したいという挨拶があった。
「土地を守るため在日1世に教わった懐かしい音楽」を奏でるウトロ農楽隊

屋上一杯に設置された19枚の太陽光パネル



2021年に、ネット情報に影響され在日コリアンに対する恨みを持った若者により放火され、7戸が焼けた現場。