古来、陰陽道では北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。
この鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、裏鬼門の守護には石清水八幡宮が当てられた。
庶民の家でも様々な工夫がなされ、鬼の嫌がる柊の木を植えたり、難を転ずるとして南天を植える家も多い。
現代でも京都の街なかにはいたるところに鬼門除けを見ることが出来る。
そんな中、ここではちょっと変わった鬼門除けを載せていきたい。
繁華街のど真ん中でも、派手な自販機の傍でも、何事もなかったかのように鬼門除けが施されている。
それが京都である。
島原・角屋
京都には現存する花街が5か所あり五花街と呼ばれているが、島原はどういうわけかその範疇にはない。
しかしながら今でも置屋の輪違屋と揚屋(他の花街でいうところのお茶屋)の角屋が現存している。
もっとも島原の歌舞練場は廃れてしまい、角屋はお茶屋としての営業はしていないので、花街とは呼べなくなったのかもしれない。
官許の最初の廓である島原は、もとは二条柳町にあったがその後六条三筋町に移り、江戸初期に現在の地に移ってきた。その引っ越しは大変大掛かりなものであり、当時起きた島原の乱のようだと言われ、島原の名前が定着した。
角屋は現在、もてなしの文化美術館として重要文化財の建物が一般公開されている。
その当時の武士や町人だけでなく多くの文化人が集った屋敷内を案内してもらい、歴史や文化の重みを感じることができた。
西郷さんが使ったとされるたらい
芸や文化、教養を身に着けた最高の女性である太夫は現在数名しかいないが、主に催しやイベントでお目にかかることができる。
因みに、島原の太夫と吉原の花魁は全く別物である。
おひさま発電所点灯式・下鴨幼稚園
昨秋11月のある日、閑静な住宅街の中にある下鴨幼稚園でおひさま発電所の点灯式があったので出かけた。
おひさま発電所とは、自然エネルギー(太陽光)を利用した発電所を市民が参加する形で設置する認定NPO法人きょうとグリーンファンドのプロジェクトで、今までに主として保育園や幼稚園など25か所に設置してきた実績がある。
26番目となる下鴨幼稚園では、スイッチを入れると十字架が点灯するというパフォーマンスで式が始まり、
その後、「太陽エネルギーを身近な存在に」というミニ講演会も行われた。
地球温暖化を少しでも食い止めるために今を生きる我々では手遅れなので、未来を担う子どもたちが自然エネルギーを体験し、正しい知識を身に着けて実践してほしいと願っている。