鬼門除け・下鴨南茶ノ木町

古来、陰陽道では北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。
この鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、裏鬼門の守護には石清水八幡宮が当てられた。
庶民の家でも様々な工夫がなされ、鬼の嫌がる柊の木を植えたり、難を転ずるとして南天を植える家も多い。
現代でも京都の街なかにはいたるところに鬼門除けを見ることが出来る。
そんな中、ここではちょっと変わった鬼門除けを載せていきたい。

宝ヶ池球技場の西側にあたるこの地は、多分昭和40年代以降に宅地化されたと思う。
その当時でも、新築時に鬼門除けを施していたことを思えば、京都市内中心部から同心円的に鬼門除けが広がっていったのだと考えられる。

看板が消えた・京町家


今年の2月頃に掲示されていた「売土地」の看板が、知らないうちに消えていた。


南隣の医院が6月末で閉院になったことと関係あるのかも知れない。
噂では併せて売却され、分譲マンションになるとか、、、。


元の土地が8億円弱で売りに出ていたことを思うと、おそらく10億円は下らないのではないか?
まだ先の話ではあるがどんな人たちが購入し、どんな人たちが住むのであろうか、同じ町内として気になるところではある。

お盆のお墓参り


今年のお墓参りは、諸般の都合で10日の午後からになった。

お墓の事務所横にある温度計は「危険」を指していた。
熱中症の恐れもあり手を合わせただけで、いつものお経は省略せざるを得なかった。
ご先祖様にもお許しいただけたのではないだろうか?

鬼門除け・泉涌寺東林町

古来、陰陽道では北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。
この鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、裏鬼門の守護には石清水八幡宮が当てられた。
庶民の家でも様々な工夫がなされ、鬼の嫌がる柊の木を植えたり、難を転ずるとして南天を植える家も多い。
現代でも京都の街なかにはいたるところに鬼門除けを見ることが出来る。
そんな中、ここではちょっと変わった鬼門除けを載せていきたい。



東福寺から泉涌寺へ向かって裏道を歩いていたら、この鬼門除けに遭遇した。
田の字地区と違って東西南北が分かりづらいが、これは裏鬼門を守っている。

59年前の今日


机の引き出しの中からこんなものが出てきた。
押されているスタンプを見ると、初めてユースホステルの会員になったのが、1967年7月29日であった。


最初に泊まったホステルは、十勝平原平原莊というYHで1967年8月3日である。
高校時代の友人たちとテントを担いで、2週間かけて北海道を旅した。
このYHがどういうホステルで、何泊目だったかは記憶にない。

出来るだけ辺境の地をということで、襟裳岬や野付半島、知床半島を巡り、ノシャップ岬から利尻島に渡った。
最後は積丹半島を経て札幌の街に到着。

キスリングと呼ばれた横長のザックを背負っていたので、列車の車内は横歩きしかできず、「カニ族」と呼ばれたものである。
思い出は満載であるが、書き尽くせないので心にとどめておくだけにする。

明るい空き地


一見普通の空き地のようだが、よくみると禅寺のお庭のように砂紋が引かれている。


真ん中には何やら石柱のようなものが、、、。

確か以前は駐車場として使っていたように記憶しているが、なにせ丸太町通に面して向かいは京都御所。
一坪何百万円の土地柄だから、下衆はすぐに計算をする始末である。