鬼門除け・木屋町三条

古来、陰陽道では北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。
この鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、裏鬼門の守護には石清水八幡宮が当てられた。
庶民の家でも様々な工夫がなされ、鬼の嫌がる柊の木を植えたり、難を転ずるとして南天を植える家も多い。
現代でも京都の街なかにはいたるところに鬼門除けを見ることが出来る。
そんな中、ここではちょっと変わった鬼門除けを載せていきたい。


繁華街のど真ん中でも、派手な自販機の傍でも、何事もなかったかのように鬼門除けが施されている。
それが京都である。

うすばね・菱屋


近所の方にいただき、一口食べてとりこになった。
触ると壊れそうな薄さのおかきだが、絶品であっというまに食べきってしまい、わざわざ店まで出向いて買い求めた。
島原大門近くにひっそりと店を構えているが、知る人ぞ知るらしく、ネット情報ではよく売り切れになるという。
創業明治19年というから来年で140年を迎えるが、製造技術が難しいらしく、後継者がいないと聞く。


左側のおかきは御前通花屋町にある武保あられ(この店も好きで、時々買いに行く)で製造された1袋500円のお徳用だが、うすばねはこの大きさで660円也。どちらも好きで単純に比較するものではないが、一枚一枚手作りだから貴重な品である。

島原・輪違屋


角屋がお客をもてなす揚屋お茶屋)に対して、輪違屋はそこに芸舞妓や太夫を派遣する置屋だが、角屋が営業を終えた現在は輪違屋お茶屋置屋として営業を続けている。但し芸舞妓は居ず、太夫だけである。


有名な輪違屋の家紋
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特徴的な軒瓦

一般公開はしていないいわゆる一見さんお断りだが、だいぶん以前に一度だけ訪れたことがあった。
豪華な傘の間や近藤勇の書を辛うじて記憶している。


輪違屋のすぐ北側にはかつて歌舞練場があったが、今では福祉施設が建っている。

島原・角屋



京都には現存する花街が5か所あり五花街と呼ばれているが、島原はどういうわけかその範疇にはない。
しかしながら今でも置屋輪違屋揚屋(他の花街でいうところのお茶屋)の角屋が現存している。
もっとも島原の歌舞練場は廃れてしまい、角屋はお茶屋としての営業はしていないので、花街とは呼べなくなったのかもしれない。
官許の最初の廓である島原は、もとは二条柳町にあったがその後六条三筋町に移り、江戸初期に現在の地に移ってきた。その引っ越しは大変大掛かりなものであり、当時起きた島原の乱のようだと言われ、島原の名前が定着した。


角屋は現在、もてなしの文化美術館として重要文化財の建物が一般公開されている。


その当時の武士や町人だけでなく多くの文化人が集った屋敷内を案内してもらい、歴史や文化の重みを感じることができた。

西郷さんが使ったとされるたらい



芸や文化、教養を身に着けた最高の女性である太夫は現在数名しかいないが、主に催しやイベントでお目にかかることができる。
因みに、島原の太夫と吉原の花魁は全く別物である。

おひさま発電所点灯式・下鴨幼稚園



昨秋11月のある日、閑静な住宅街の中にある下鴨幼稚園でおひさま発電所の点灯式があったので出かけた。
おひさま発電所とは、自然エネルギー(太陽光)を利用した発電所を市民が参加する形で設置する認定NPO法人きょうとグリーンファンドのプロジェクトで、今までに主として保育園や幼稚園など25か所に設置してきた実績がある。



26番目となる下鴨幼稚園では、スイッチを入れると十字架が点灯するというパフォーマンスで式が始まり、

その後、「太陽エネルギーを身近な存在に」というミニ講演会も行われた。
地球温暖化を少しでも食い止めるために今を生きる我々では手遅れなので、未来を担う子どもたちが自然エネルギーを体験し、正しい知識を身に着けて実践してほしいと願っている。

一休庵・たぬき


冬の京都で手軽に温まる食べ物として愛されているのが、「たぬき」である。
東京の「たぬき」は天かすが乗っているうどんで、大阪の「たぬき」はきつねそばであるが、元祖京都の「たぬき」はご覧のように、きつねうどんのあんかけである。
個人的なこだわりとしては、おあげは刻みでなくてはならないし、九条ネギは必須である。
その上に熱々のあんがかかっていて、しょうがを混ぜて食べると、自然と体が温まってくる。
この店では、これで500円でまさに庶民の味である。


こちらは北大路橋東詰めのお店。

過去何回も「たぬき」のことは投稿したと思うが、この時期になるとどうしても人に自慢したくなる。

浄慶寺Jan'25


昨日に引き続き、正月の法語を。
いつもの法語にはない元号(令和7年)が、
今年こそ世界平和の実現をと願う住職さんの思いがこもっているように感じる。