藩邸・邸宅跡

大久保利通旧邸

西郷さん好きの人にとって、大久保さんの評判はすこぶる悪いようである。 その邸宅は、薩摩藩邸にほど近い河原町今出川南西にあった。 これは2007年に撮ったもの。 その後このように建て替えられたが、石碑だけは健在である。別の場所で小松帯刀の屋敷跡も確…

伏見御堂

東本願寺の伏見別院だが、創建の経緯から伏見御坊と呼ばれている。 こちらの碑が詳しい。 鳥羽伏見の戦いのときは、会津藩がここを幕営地とし、御香宮に陣を張る薩摩藩と交戦した。徳川幕府軍の本拠地であった伏見奉行所も近い。

高麗寺跡

京都新聞の一面に、「渡りくる人々」と題する小さなコラムが毎日掲載されている。古代史において、日本列島には朝鮮半島や中国大陸から多くの渡来人が上陸し住み着いたことを、井上満郎京都市歴史資料館館長が解説している。このコラム欄は通常1年単位で変…

三条白川・坂本龍馬結婚式場跡

古来陰陽道では、北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。 鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、裏鬼門には石清水八幡宮が当てられた。 …

膏薬辻子

京都の町中では、路地(ろーじ)とか辻子(ずし)とか呼ばれる、家と家の間に通じる細い道をよく見かける。幕末に刊行された書籍(京羽津根)には、91ヶ所もの辻子が紹介されている(京都検定公式テキストブックの受け売り)。 路地と辻子の違いには諸説あり…

糸桜・近衛邸跡

京都御苑北端に位置する近衛邸跡の枝垂桜は糸桜と呼ばれ、京都では早咲きの桜として知られている。確かに、御苑の他の桜はちらほらと言ったところなのに、こちらは既に満開である。 池の水面まで垂れ下がった桜は絵になるのだが、何故だか今年は水が枯れてい…

対馬宗氏屋敷跡・桂小五郎寓居跡

最近京都に移ってきた人の曰く、「京都はどこを歩いてもたくさんの石碑に出会う」と。この場所も例外に漏れず、江戸時代の対馬宗氏の屋敷跡である。 この案内板には、この地の平安時代からの変遷が書かれている。 桂小五郎もこの屋敷をしばしば利用していた…

慶長天主堂跡

これはいつものテーマである鬼門除けではない。近世京都でキリスト教の布教が盛んだった名残の一つである。 近所にあるだいうす(ゼウス)の辻子とも関係があるのだろうか? 京都市が立てた高札には、この天主堂は10年ほどに取り壊されたとある。

南禅寺の別荘群

あるカルチャーセンターが、名高い南禅寺の別荘群の中でもひときわ立派だと言われる某邸を見学できるイベントを募集していたので、9千円以上という参加料のことなど深く考えずに申し込んだ。 事情があるのであえて名前は示さないが、関心のある方はすぐお分…

同志社大学新町校舎・日本電池発祥地

同志社大学新町校地にはもともと日本電池、(今ではGSユアサバッテリーと名を変えている)の本社があったことを初めて知った。 碑文によると、本社が西大路八条に移転した後、1959年に同志社が買い取ったとのこと。 それ以前の室町時代頃には、五摂家筆頭の…

元和キリシタン殉教の地

鴨川に架かる正面橋の東詰めにこの碑が建っている。この一帯はいわゆる六条河原であり、古来より刑場として有名である。 古くは保元・平治の乱の敗者を始め、戦国時代には石田三成や小西行長もここで処刑されている。 江戸時代になってキリシタン禁教令が出…

島原・角屋

置屋さんから芸舞妓を呼んで宴会を催す場所を祇園ではお茶屋と呼ぶが、ここ島原では揚屋と呼んでいる。現存する唯一の揚屋建築である角屋も廃業し、現在では角屋おもてなしの美術館となっている。幕末には久坂瑞や西郷隆盛もたびたび訪れているし、壬生の屯…

吉田山荘

3年ほど前のことになるが、親戚の法事で吉田山荘を訪れた。昭和7年に東伏見宮邸として建てられたものが、現在は料理旅館になっている。 こんなことでもなければ訪れることのない場所である。 真如堂の三重塔の向こうに東山が横たわっている。

石村亭

谷崎潤一郎が晩年のひととき(昭和24年〜31年)を過ごしたのが、ここ石村亭。 当時は潺湲亭(せんかんてい)と言ったが、 谷崎が京都を去るにあたりある企業がこれを引き継いだ。「京都を訪れた際には見に行きたいので、現状のまま使ってほしい」との条件付…

御花畑御屋敷跡

西郷、大久保、木戸達が会合を開き、薩長同盟を結んだのが ここ近衛家別邸「御花畑御屋敷」だというのでこの様な石碑が最近になって建てられた。ここはまた薩摩藩家老小松帯刀寓居跡でもあったと記してある。 小松帯刀については、この様な石碑が建っている…

北野廃寺跡

飛鳥時代に創建され、京都で最も古いお寺であったと言われている。 一説には、広隆寺の前身とも。中高6年間この前を通っていたはずだが、全く気付かなかった。

新島襄旧邸

京都市のある委員会が新島会館で開催された。お隣の新島襄旧邸では一本の梅の木が満開であった。

応仁の乱勃発の地・御霊神社

京都の人が「先の戦争と言えば、応仁の乱である」というのは都市伝説だが、 昨年は応仁の乱が始まってから550年の節目の年であった。山名宗全の屋敷があった辺りが西陣と呼ばれ、西陣織を始め今日までその名は良く知られているが、 翻って東陣の名前は一般に…

西寺跡

五重塔で有名な東寺(教王護国寺)があれば、当然西寺もあるはずである。 ところが東寺の隆盛に比べて、早くから廃れてしまったようである。造営当時の平安京は朱雀大路を中心として、「左京」と「右京」によって構成されていたが、 100年も経たないうちに「…

旧三井家下鴨別邸

大正14年に、木屋町三条上るにあった三井家木屋町別邸がこの地に移築された。 戦後国に譲渡され、平成19年まで京都家庭裁判所の所長宿舎として使用されていた。 こんな豪華な宿舎を与えられていたとは官吏冥利に尽きるのではないだろうか。池には下鴨神社か…

狩野元信邸跡

元信は狩野派の始祖と呼ばれる正信の子であり、大徳寺大仙院に 「四季花鳥図」が残されていると、先週末の講座で聞いたばかりである。京都ではこのようなろーじを図子と呼んでいる。

山名宗全邸宅跡

山名宗全の名は、全国どの地域の人より京都の人が良く知っているのかもしれない。 「先の大戦」といえば第二次世界大戦や戊辰戦争でなく応仁の乱を指すという都市伝説が残る 京都ならではである。東に陣取った細川勝元に対して山名宗全が陣取ったのがこの一…

三井越後屋京本店跡

「あさがきた」もいよいよ今週末で最終回を迎える。 全国的に「あさロス」現象が起こるのではと、少々心配である。ここは京都三井十一家の中心だったところかもしれない。 「越後屋、おぬしも悪よのう」がここを指すのかどうかは知らない。この家紋が現在の…

冷泉家

縁あってご紹介いただいたので、冷泉家の中を拝見した。 冷泉家は現役のお屋敷なので、「邸宅跡」に入れるのは失礼だが、 他のジャンルがないのでこのままでお許しを願う。右近の橘に左近の梅。平安時代に花と言えば、桜ではなく梅であった名残かもしれない…

あさの生家・出水三井家跡

絶好調朝ドラ「あさが来た」主人公あさの実家は出水三井家(後の小石川三井家)である。 江戸時代にあった三井十一家の一つである。他の三井十一家に関する記事 新町三井家その生家跡には現在ホテルが建っている。 地図を見ても相当広い屋敷だったようで、 …

本阿弥光悦屋敷跡

今年は本阿弥光悦が徳川家康から鷹峯の地を拝領してから400年が経ったということで、 京都では「琳派400年」として様々な展覧会やイベントが行われた。本阿弥光悦といえば、豪華な船橋蒔絵や刀剣の鑑定を業としているなど 大富豪のイメージを抱いていたが、2…

三井京両替店跡

「あさが来た」のあさは、ドラマでは京都の今井家の生まれと言うことになっているが、 実際のモデルは三井家である。京都には「三井十一家」と言う同族組織があり、 この地はそのうちの一つ新町三井家の邸宅として近年まで使用されていたとある。あさやはつ…

俊寛僧都山荘跡

物語であまりにも有名な、平家打倒の密議が行われたとされるのが、 僧俊寛の鹿ケ谷の別荘である。霊鑑寺の横を抜けて大文字に上る途中にその山荘跡を記した石碑が立っている。 大体の場所は認識していたが、これほどの山の中とは思わなかった。 白河上皇が法…

尊攘堂

尊攘堂は長州藩の品川弥次郎が、幕末に活躍した 尊王攘夷派の人々を記念して建てた建物と解説板にある。 元は高倉錦にあったものが京都大学構内に移築されたらしい。京大構内にはこの様な史跡が他にもたくさんある。

六勝寺跡

岡崎地区一帯が国の重要文化的景観に指定された。 京都市美術館や国立近代美術館、京都会館などの文化ゾーンに加え、 最近脚光を浴びてきた疏水を中心とした南禅寺別荘群も含まれている。 エリアとして保存してほしいものであるが、平安時代この一帯には 六…