藩邸・邸宅跡

同志社大学新町校舎・日本電池発祥地

同志社大学新町校地にはもともと日本電池、(今ではGSユアサバッテリーと名を変えている)の本社があったことを初めて知った。 碑文によると、本社が西大路八条に移転した後、1959年に同志社が買い取ったとのこと。 それ以前の室町時代頃には、五摂家筆頭の…

元和キリシタン殉教の地

鴨川に架かる正面橋の東詰めにこの碑が建っている。この一帯はいわゆる六条河原であり、古来より刑場として有名である。 古くは保元・平治の乱の敗者を始め、戦国時代には石田三成や小西行長もここで処刑されている。 江戸時代になってキリシタン禁教令が出…

島原・角屋

置屋さんから芸舞妓を呼んで宴会を催す場所を祇園ではお茶屋と呼ぶが、ここ島原では揚屋と呼んでいる。現存する唯一の揚屋建築である角屋も廃業し、現在では角屋おもてなしの美術館となっている。幕末には久坂瑞や西郷隆盛もたびたび訪れているし、壬生の屯…

吉田山荘

3年ほど前のことになるが、親戚の法事で吉田山荘を訪れた。昭和7年に東伏見宮邸として建てられたものが、現在は料理旅館になっている。 こんなことでもなければ訪れることのない場所である。 真如堂の三重塔の向こうに東山が横たわっている。

石村亭

谷崎潤一郎が晩年のひととき(昭和24年〜31年)を過ごしたのが、ここ石村亭。 当時は潺湲亭(せんかんてい)と言ったが、 谷崎が京都を去るにあたりある企業がこれを引き継いだ。「京都を訪れた際には見に行きたいので、現状のまま使ってほしい」との条件付…

御花畑御屋敷跡

西郷、大久保、木戸達が会合を開き、薩長同盟を結んだのが ここ近衛家別邸「御花畑御屋敷」だというのでこの様な石碑が最近になって建てられた。ここはまた薩摩藩家老小松帯刀寓居跡でもあったと記してある。 小松帯刀については、この様な石碑が建っている…

北野廃寺跡

飛鳥時代に創建され、京都で最も古いお寺であったと言われている。 一説には、広隆寺の前身とも。中高6年間この前を通っていたはずだが、全く気付かなかった。

応仁の乱勃発の地・御霊神社

京都の人が「先の戦争と言えば、応仁の乱である」というのは都市伝説だが、 昨年は応仁の乱が始まってから550年の節目の年であった。山名宗全の屋敷があった辺りが西陣と呼ばれ、西陣織を始め今日までその名は良く知られているが、 翻って東陣の名前は一般に…

西寺跡

五重塔で有名な東寺(教王護国寺)があれば、当然西寺もあるはずである。 ところが東寺の隆盛に比べて、早くから廃れてしまったようである。造営当時の平安京は朱雀大路を中心として、「左京」と「右京」によって構成されていたが、 100年も経たないうちに「…

旧三井家下鴨別邸

大正14年に、木屋町三条上るにあった三井家木屋町別邸がこの地に移築された。 戦後国に譲渡され、平成19年まで京都家庭裁判所の所長宿舎として使用されていた。 こんな豪華な宿舎を与えられていたとは官吏冥利に尽きるのではないだろうか。池には下鴨神社か…

狩野元信邸跡

元信は狩野派の始祖と呼ばれる正信の子であり、大徳寺大仙院に 「四季花鳥図」が残されていると、先週末の講座で聞いたばかりである。京都ではこのようなろーじを図子と呼んでいる。

山名宗全邸宅跡

山名宗全の名は、全国どの地域の人より京都の人が良く知っているのかもしれない。 「先の大戦」といえば第二次世界大戦や戊辰戦争でなく応仁の乱を指すという都市伝説が残る 京都ならではである。東に陣取った細川勝元に対して山名宗全が陣取ったのがこの一…

三井越後屋京本店跡

「あさがきた」もいよいよ今週末で最終回を迎える。 全国的に「あさロス」現象が起こるのではと、少々心配である。ここは京都三井十一家の中心だったところかもしれない。 「越後屋、おぬしも悪よのう」がここを指すのかどうかは知らない。この家紋が現在の…

冷泉家

縁あってご紹介いただいたので、冷泉家の中を拝見した。 冷泉家は現役のお屋敷なので、「邸宅跡」に入れるのは失礼だが、 他のジャンルがないのでこのままでお許しを願う。右近の橘に左近の梅。平安時代に花と言えば、桜ではなく梅であった名残かもしれない…

あさの生家・出水三井家跡

絶好調朝ドラ「あさが来た」主人公あさの実家は出水三井家(後の小石川三井家)である。 江戸時代にあった三井十一家の一つである。他の三井十一家に関する記事 新町三井家その生家跡には現在ホテルが建っている。 地図を見ても相当広い屋敷だったようで、 …

本阿弥光悦屋敷跡

今年は本阿弥光悦が徳川家康から鷹峯の地を拝領してから400年が経ったということで、 京都では「琳派400年」として様々な展覧会やイベントが行われた。本阿弥光悦といえば、豪華な船橋蒔絵や刀剣の鑑定を業としているなど 大富豪のイメージを抱いていたが、2…

三井京両替店跡

「あさが来た」のあさは、ドラマでは京都の今井家の生まれと言うことになっているが、 実際のモデルは三井家である。京都には「三井十一家」と言う同族組織があり、 この地はそのうちの一つ新町三井家の邸宅として近年まで使用されていたとある。あさやはつ…

俊寛僧都山荘跡

物語であまりにも有名な、平家打倒の密議が行われたとされるのが、 僧俊寛の鹿ケ谷の別荘である。霊鑑寺の横を抜けて大文字に上る途中にその山荘跡を記した石碑が立っている。 大体の場所は認識していたが、これほどの山の中とは思わなかった。 白河上皇が法…

尊攘堂

尊攘堂は長州藩の品川弥次郎が、幕末に活躍した 尊王攘夷派の人々を記念して建てた建物と解説板にある。 元は高倉錦にあったものが京都大学構内に移築されたらしい。京大構内にはこの様な史跡が他にもたくさんある。

六勝寺跡

岡崎地区一帯が国の重要文化的景観に指定された。 京都市美術館や国立近代美術館、京都会館などの文化ゾーンに加え、 最近脚光を浴びてきた疏水を中心とした南禅寺別荘群も含まれている。 エリアとして保存してほしいものであるが、平安時代この一帯には 六…

岸駒屋敷跡

我が家から2筋西に行った東洞院丸太町下るの風景である。 コインパーキングの傍のお地蔵さんの祠の隣に石標がある。 「此辺画家岸駒居住地」とあるように、江戸時代に岸派の岸駒(がんく)が住んでいたところである。この一帯は画家が多く住んでいたと言わ…

鷹司邸・みかんの木

京都の町の真ん中で、これほどのミカン(夏蜜柑?)の木を 見ることは、珍しいのではないだろうか?今でこそ京都御苑の一角となっているが、この地は昔は関白鷹司邸であった。 一説によると、貴族は食糧自給のため邸内に実のなる木を植えていたとのこと。 堺…

欣浄寺

見ての通りの小さなお寺で、通りからも奥まっていて 看板がなければ分からないほどである。この寺に魅かれた理由は、深草少将の屋敷跡だからということ。墨染井深草少将と小野小町の塚。小野小町伝説は各地にあるが(これもその一つ)、ここに塚があるのは …

撞木町

伏見橦木町といえば名だたる遊郭のあった場所である。 歌舞伎の仮名手本忠臣蔵で大石内蔵助(大星由良助)が遊んだとされるのは祇園の一力茶屋であるが、 実際はこの橦木町だったらしい。 それを示す石碑も建っている。なるほどここなら山科の家も近い。

山本覚馬邸宅跡

初代京都府議会議長というよりも、会津藩士や新島八重の兄としてのほうが 有名かもしれない山本覚馬が住んだところである。 斜め向かいには仇敵旧長州藩邸があり、因縁の場所かもしれない。 また、この地は豊臣秀吉が造った御土居の跡に立っていると 案内板…

伏見奉行所跡

鳥羽伏見の戦いでは幕府軍や新撰組が立てこもり、 薩摩軍が陣取る御香宮との間で激しい戦いを繰り広げた場所である。 その間、200mも離れていないだろう。薩軍では中村半次郎が指揮を執ったはずだが、放送中の八重の桜では その名前すら出てこなかった。 鳥…

瑞蓮寺

京都には多くのお寺があり(一説にはコンビニの数より多い)、 門前に法語を掲げているところもたくさんある。 そんな中で、既成の印刷物ではなく住職が自分の考えで選び、 あるいは自分の言葉で書いているものが面白いと思い、注目してみる。 また、このお…

木屋町通御池上る

大村益次郎卿遭難之碑 佐久間象山遭難之碑木屋町通の二条から御池の間は、幕末好きには堪らない 歴史の宝庫であろう。「八重の桜」で主人公の一人であり、八重の兄である 山本覚馬が私淑した佐久間象山が河上彦斎に斬殺されたのも この地であり、大村益次郎…

千年の蓄積

この辺りは「応仁の乱洛中最初の合戦の地」であり、 その数百年前は大江山の鬼退治で有名な源頼光や 蜻蛉日記の作者として知られる右大将道綱の母が住んでいたという。 さらにこの向かいには、明治維新前夜に薩摩の小松帯刀が住んでいたと石碑にはある。千年…

因州鳥取藩藩邸跡

幕末に鳥取藩が京都でどういう役割を果たしたか知らないが、 高札によると、京都の政治的な役割が増したため藩邸を移転したとある。 元の場所(油小路下立売)に較べて、皇居(京都御所)に特別近くなったわけではないと思うのだが、 「幕末動乱期における鳥…