2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧
この季節に相応しい訓語である。 卒園生に向けたものだろうか? あるいは、、?
京都には珍しい律宗のお寺である。 蓮の寺としても有名だが、それはもう少し先か? 数日もすればこの「開花」の貼り紙の下に隠されている「満開」の文字を見ることができるのだろう。
25日から天皇皇后両陛下が京都に滞在されていたが、今日東京に帰られた。 この写真は奈良に行かれる時に(明治生まれの祖母は「おでまし」と言っていた)撮ったもの。 3分前を示すパトカー。この後1分前のパトカーが通り、車列が近づいてくる。 市民は一カ所…
京都三大珍鳥居の一つである。 京都検定に出るのではと、下調べに行った時の写真である。どこが珍しいのかちょっと見ただけでは分からないが、 蓮の台座に載っているのが珍しいとのこと。そういえば台座に載っている鳥居など見たことがないかもしれない。
京都の町家には、出窓風のショーウィンドーとも呼ぶべき空間を持っているところが多い。 その中でも特に商売とは関係なさそうなものに注目してみる。 椿一輪。
深草の疏水(鴨川運河というらしい)に面した民家である。いわゆる洛中ではないが、京街道(伏見街道)に沿って古い町家も多く残っている。こんな記事をシリーズ化したくないが、当分続くかと思うと口惜しい。
POP UP MUSEUMなるアートイベントに出かけてみた。場所は旧府立資料館の前庭。 よく見ると穂先には鈴が付けられている。 府立資料館は、京都学・歴彩館として生まれ変わった。
なんだか昔の合格電報のようなタイトルだが、今日の陽気で咲き始めたようだ。何本かがまとまって咲いているのは ここだけだったので、本格的なシーズンはもう少し先かもしれない。 知恩院さんの古門前を上った瓜生石の前。
古来陰陽道では、北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、 また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、 裏鬼門には石清水八幡宮が当てられた。 …
オーッ!という掛け声?は町中で見かける托鉢の僧と同じであるが、ここ嵐山ではいささか様子が違う。道の両側から店の人が出て来てお布施をするだけでなく、観光客の中にも喜捨する人がいるので、小走りで大忙しである。 地元天龍寺の若い修行僧たちである。
[明治維新で都が江戸に移り、町が寂れていくことを憂いた京都の町衆が、人材を育成して町を復興させようと、明治2年に各々の地域に小学校を設立した。その数なんと64校、全体を称して「番組小学校」と呼ぶ。松本の開智小学校が日本で最初の小学校(明治6年創…
置屋さんから芸舞妓を呼んで宴会を催す場所を祇園ではお茶屋と呼ぶが、ここ島原では揚屋と呼んでいる。現存する唯一の揚屋建築である角屋も廃業し、現在では角屋おもてなしの美術館となっている。幕末には久坂瑞や西郷隆盛もたびたび訪れているし、壬生の屯…
古来陰陽道では、北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、 また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。この鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、 裏鬼門の守護は石清水八幡宮が当て…
3年ほど前のことになるが、親戚の法事で吉田山荘を訪れた。昭和7年に東伏見宮邸として建てられたものが、現在は料理旅館になっている。 こんなことでもなければ訪れることのない場所である。 真如堂の三重塔の向こうに東山が横たわっている。
このお寺の法語は、時々凡人にはわからないことが書いてある。
水温む季節の到来となったが、風はまだ冷たい。春はそこまで。
][ ウィルアム・メリル・ヴォーリスの建築で、 京都に現存しているのは14カ所ほどであろうか。 大丸京都店がしっかり保存しているのは心強いことである。
普通の民家ではなく天麩羅屋さんだが、ここの出窓はいつも工夫が凝らしてある。
八重の紅梅と説明されているが、満開にはもう少しかかりそうだ。この様な説明書きも増えたし、正月にお札を売っているのには驚いた。最近下御霊神社は攻めていると、専らの評判である。
古来陰陽道では、北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、 また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、 裏鬼門には石清水八幡宮が当てられた。 …
鍾馗さんというよりは大黒さんに見えてしまう。 そうだとすれば魔除けより、福の神というところだろうか。