2013-04-01から1ヶ月間の記事一覧
伏見市は昭和4年に市制がひかれ、昭和6年には京都市に編入された。 従ってこの看板の有効期間はわづか2年間しかなかったことになる。 この建物はまさかその当時のものだと言うことはあるまい。
もうそんな季節がやってきたのか?男性に限る、長髪・茶髪はダメ、もちろんピアスもダメ、 こんな一方的な条件でもたくさんの人が応募することだろう。別の鉾では、こんなことで世間を騒がせている。
東日本大震災やその後の原発事故の影響で故郷を離れて 京都に移住してきた人たちが一緒に働いている キッチンNagomiが改装して 新装オープンの運びとなった。内部階段が付いて2階にも行きやすくなったなど 全般的に使い勝手が良くなった。この日のメニューも…
京都の街なかではお馴染みの(一説には京都市内に5000とか)お地蔵さんだが、 たまにはこのような卍が反対になったものを見かけることがある。 左右対称で逆さまになったものは理屈が着くが、 扉の中は正卍なのでおそらく石工さんの彫り間違いではないかと思…
金色の鍾馗さんを発見したのは2体目である。 場所は、岡崎の白川沿い。このお家も1体目と同じ金箔美術を業としている。 その時は、「多分この家以外では見ることができないであろう」と書いたが、 なんのなんの、京都は奥が深いと感じた次第である。
京都の町家には、出窓風のショーウィンドーとも呼ぶべき空間を持っているところが多い。 その中でも特に商売とは関係なさそうなものに注目してみる。
京都府豆腐油揚商工組合という同業者組織が、僕にとっては面白い。 以前にもこのような記事があった。
古来陰陽道では、北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、 また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。この鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、 裏鬼門の守護は岩清水八幡宮が当て…
レンタサイクルで鴨川岸を観光していた若い外国人一行が 歓声を上げて飛び石を渉っていた。 別のグループの日本人も遅れて渉っていく。 ここは一方通行ではないので、川の中央で鉢合わせ。 そこはよくできたもの、石が二つ配置されている。 飛び石から上流を…
水の中を桜吹雪の反物が流れている? 場所は深草の疏水である。4日前ならまだこの風景を見ることができたが、 今日なら葉桜だけかもしれない。
知恩院さんには「忘れ傘」や「抜け雀」などの七不思議があるといわれている。 この瓜生石もその一つだが、これだけがお寺の外にある。「知恩院ができる前からあるといわれている石で、牛頭天王が降臨して 一夜のうちに瓜が生えて実ったとか、二条城へ続く道…
京都府北部は丹後縮緬の本場であり、白生地を室町の呉服問屋に卸していた。 いまでは随分斜陽になってしまったが、ここ旧加悦町(合併して与謝野町となっている)には かつての織元の家が軒を連ね、ちりめん街道と呼ばれている。春になると各家々が「おひな…
京都の町家には、出窓風のショーウィンドーとも呼ぶべき空間を持っているところが多い。 その中でも特に商売とは関係なさそうなものに注目してみる。
古来陰陽道では、北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、 また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。この鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、 裏鬼門の守護は岩清水八幡宮が当て…
京都府庁は京都守護職上屋敷があった場所に建っている。 旧本館の中庭には6本の桜があるが、 その内の1本が大島桜と山桜の特徴を持つ珍しい桜である。 その事を発見した桜守の佐野藤衛門さんが、その場所に因んで 容保桜と命名したのが今から3年前である。余…
こちらは季節感とは関係がない。 仏教寺院であることを忘れさせる法語であるが、 住職の思想・考え方が反映されているのだと思う。
ちょっと季節が遡ってしまったようで、、、。
ここから先は撮影禁止先月のことではあるが、京の冬の旅特別公開中の 三時知恩寺にお参りしてきた。 小さなお寺ではあるが、円山応挙の襖絵「魞魚図」や狩野永納の「花鳥図屏風」を 拝見することが出来た。 ちょっと変わった名前の由来はこの高札に書いてあ…
岡崎の疏水の桜もいままさに満開である。 橋の反対側もこの通り。暖かくなったと思えば寒い日に逆戻りしたりすることで、 花の時期を延ばしているかもしれない。