京都の中の明治・大正

西本願寺伝道院

古くからの仏具店などが立ち並ぶ西本願寺の門前町でひときわ異彩を放っているレンガ造りの伝道院が特別公開されていたので出かけてみた。 東京の築地本願寺や京都では豊国廟や祇園閣の設計で知られる伊藤忠太が手掛け、明治45(1912)年に完成した。当時は真…

旧成徳小学校

河津桜を除けば、多分京都市内の町中で一番先に咲く桜ではないだろうか!? 案内板によると、「春めき」という珍しい苗らしい。望遠カメラを構えた人も、携帯のカメラの人も柵に張り付くようにして、思い思いに写真を撮っている。 大正8年にこの地で日本最初の…

琵琶湖疏水を歩く

12月に行われる京都検定、今年の1級のテーマは河川・橋梁ということで、出題確率の高い琵琶湖疏水を歩いてみた。まずはお馴染、ねじりまんぼ。 この上に掲げられている扁額は北垣国道の書で、「雄観奇想」と読める。 インクラインを通って本願寺水道や御所水…

経ヶ岬

旅行についてもまだそれほどうるさく言われていなかった3月中旬に、高校時代の友人たちと丹後地方を訪れた。 ここは近畿最北端の地で、経ヶ岬灯台が建っている。 今から120年前以上に建造されたとは思えない立派な白亜の灯台である。 天気予報で「経ヶ岬沖浪…

寿ビルディング

昭和2年に建てられたので、厳密に言うと「明治・大正」には当たらないが、 レトロな雰囲気は大正モダンである。ミナペルホネンというファッションブランドがキーテナントである。

旧三井家下鴨別邸

大正14年に、木屋町三条上るにあった三井家木屋町別邸がこの地に移築された。 戦後国に譲渡され、平成19年まで京都家庭裁判所の所長宿舎として使用されていた。 こんな豪華な宿舎を与えられていたとは官吏冥利に尽きるのではないだろうか。池には下鴨神社か…

聖ハリストス正教会

京都非公開文化財特別公開が11月7日までの予定で、21カ所で行われている。 新聞に大きく載ったこともあり、さして広くないこの教会は人で一杯であった。 ロシア・ビザンチン様式の聖堂の設計は、京都府庁本館などを手掛けた松室重光の手になる。お堂の内部…

桂川取水口跡

桂離宮に桂川の水を取り入れていた名残である。 碑文からは、明治41年5月改修と読めるが、 今はもう使われなくなっている。

ちやうどうりはし

深草疎水にかかる橋の一つ。「町通り橋」をひらがなにすれば、こうなるらしい。先の記事の師団橋には帝国陸軍の記章が残っていたが、ここでは削られている。 何か理由があったのだろうか?

疎水記念館・蹴上発電所

明治23(1890)年に、に日本最初の事業用水力発電所として発電を開始した この蹴上発電所であるが、驚くべきことに今も現役で動いている。 京都市内の需要の1%程度を担っているらしい。こちらはその発電所を動かす水を運んでいる琵琶湖疏水の出口の一つ。疎…

芸術の秋その4・大山崎山荘美術館

大山崎山荘美術館は、 実業家加賀正太郎が別荘として建て、彼の死後はアサヒビールが管理している。天下分け目の戦いのあった天王山の中腹に位置し、 このアーチをくぐって中に入って行く。改修工事中で建物の全容が見られないのは残念である。有名なモネの…

三井京両替店跡

「あさが来た」のあさは、ドラマでは京都の今井家の生まれと言うことになっているが、 実際のモデルは三井家である。京都には「三井十一家」と言う同族組織があり、 この地はそのうちの一つ新町三井家の邸宅として近年まで使用されていたとある。あさやはつ…

丸太町東洋亭

このお店は洋食屋ではなく西洋料理と自ら呼んでいる。 不思議なほどマスコミに出てこないが、知る人ぞ知るの昔から京都では有名な店である。その昔、家族で利用したことがあったが、 白いエプロン姿のウェイトレスさん(女給さんと言ったほうがピッタリか)…

尊攘堂

尊攘堂は長州藩の品川弥次郎が、幕末に活躍した 尊王攘夷派の人々を記念して建てた建物と解説板にある。 元は高倉錦にあったものが京都大学構内に移築されたらしい。京大構内にはこの様な史跡が他にもたくさんある。

仁丹楽会

昨年の暮れのことであるが、京都仁丹楽会の展示会に出かけてきた。 京都の人ならお馴染の仁丹の住居表示版を熱心に調査している人たちの グループである。 京都市内には700枚強しか現存していなくて、それも減少傾向にあるそうだ (町家が取り壊されて行くた…

二条城撮影所跡

京都が日本映画発祥の地であることはよく知られているが、 京都初の撮影所は二条城撮影所として、明治43年に横田商会により開設された。牧野省三や尾上松之助など、多くの映画人がここから巣立っていったと書かれている。昨年の京都検定なら出題されたかもし…

船岡温泉

京都には今でも銭湯が多く残っているが、 ここはその代表格として有名である。 何せ有形文化財の銭湯である。中に入ったことはないが、脱衣場の彫刻も見事だと聞いたことがある。 これを目当てに全国から銭湯好きのお客さんが来るらしい。一度タオルと石鹸を…

夷川発電所

夷川発電所は第二疏水事業(明治末の京都三大事業の一つ)で造られた発電所で、 今でも現役で稼働している。この銅像は三代目京都府知事北垣国道である。 東京遷都で疲弊した京都の町の復興を図り、琵琶湖疏水を 造った中心人物である。莫大な費用がかかるた…

ねじりまんぼ

南禅寺から地下鉄蹴上駅に行くにはこのねじりまんぼを通る。 上には琵琶湖疏水のインクラインが通っている、一種のトンネルである。正確には「ねじりまんぽ」と呼び、日本語に直すと「煉瓦斜拱渠」ということを ネットで教わった。 ねじったようにしてレンガ…

野田橋

深草地区の疎水には多くの橋が架かっている。 その多くはこの様な石造りである。この文様は何のしるしだろうか? 一説にはこの地に陸軍16師団の本部があった関係で、 軍隊の紋章だと聞いたことがある。他の橋では削りとられているところが多いのも その影響…

聖母女学院

この建物は、明治41年に建てられた陸軍第16師団司令部の庁舎で、 戦後払い下げを受けて聖母女学院となった経緯がある。 websiteによれば中の設備も素晴らしいものがあるが、 残念ながら見せてもらうことはできなかった。この近所には軍人湯という名の銭湯が…

三栖閘門

閘門とは聞きなれない言葉かもしれないが、水位の異なる川や運河の間を 船が通ることができるようにする設備である。 パナマ運河を想像してみればいいかもしれない。古くから京都と大阪の間は淀川を利用した水運が盛んであった。 伏見は京都の玄関口として栄…

みずほ銀行京都支店

明治39年に第一銀行京都支店として建てられたこの建物は、 1999年に保存を望む多くの声があったにも拘らず、解体されてしまった。何年か経て現在のみずほ銀行としてこのようなレプリカ調の建物になった。就職したての頃は確か第一勧業銀行京都支店だったと思…

平楽寺書店

新風館の北側にひっそりと佇んでいるかのような書店である。 最初は古書店かなとも思っていたが、何と江戸中期創業の書店である。 当初は日蓮宗関連の書籍を扱っていたが、今では仏教やその関連の 書籍を扱っておられるとのこと(websiteによる)。 門外漢と…

消えた大店

松坂屋京都店は呉服問屋が立ち並ぶ室町界隈の一角(新町六角下る)にあり、 専ら呉服の仕入れを行っていたようである。 建てられたのは1745年で現在の地に移ったのが1749年というから、 江戸中期からこの地で商いをしていたことになる。 この建物も明治35年…

国立京都博物館・陽明文庫名宝展

藤原鎌足を祖とする近衛家の名宝を集めた展覧会である。 平日の午後にもかかわらず、入場まで15分待たされた。 地味な展示物(藤原道長の御堂関白記など国宝も多数展示されているが、主には日記などの書である)なのにこれほどの行列ができるとは驚いた。 N…

本願寺伝道院

案内板によると、この建物は明治28(1895)年に真宗信徒生命保険会社の本社として立てられたとある。 このような会社があったこと自体知らなくて、ネットで調べてみたら(保険会社の変遷史みたいな資料もあった)紆余曲折を経て東京生命となり、その破綻後は…

京都慶応義塾跡

京都に慶応義塾があったことはあまり知られていないが、東京の分校として明治7年に開設された。場所は現在の京都府庁敷地内で、正門を入った左手すぐにある。思うように生徒が集まらなかったので1年で閉校になったと府庁の守衛さんが話してくれた。

旧東海道線山科駅跡

京都ー大津間は明治12年に鉄道が開通し、その途中に山科駅が作られた。その当時は東山の下にトンネルを掘る技術がなかったのか、東山、稲荷山を迂回して線路が敷設された。その後大正10年に現在の東海道線が開設されるまで、山科駅はこの場所にあった。 稲荷…

旧西陣電話局

20代で没した建築家、岩元禄は3つの作品を残すが、現存するのはこれが唯一のもの。大正期の建築史を考察する上で貴重な作品。(「京都府庁界隈歴史を歩く」より)