鴨沂幼稚園

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現在は
ja.wikipedia.org鴨沂高校
の同窓会館になっているが、ここは僕が65年以上前に通った鴨沂幼稚園の有った場所である。f:id:mfujino706:20200319162605j:plain
ここから先は断片的にしか憶えていないが、この玄関は辛うじて覚えている。
卒園学芸会?のために、ブンブンブン、ハチが飛ぶを練習したが、本番当日にはしかに罹り参加できなかった。
同級生に近所の古本屋さんのお嬢さんが居た。
高校のプ-ルを使った授業があったが、全く足が立たず、縁にしがみついていたなどなど。どんな先生がいたかなど他は全く覚えていないf:id:mfujino706:20200319162747j:plainf:id:mfujino706:20200319162829j:plain
通園の行き帰りは京都御所の土手を歩いた。タンポポなどを採ったことは憶えている。f:id:mfujino706:20200319163106j:plain
当時我が家の近所には公立の幼稚園がなく、京都御所を横切ってこの寺町御門をくぐって通っていた。大人の足でも10分以上かかるので、寄り道しながら歩いていたと思うので30分はかかっていたのではないだろうか。同じ町内の同級生のお母さんに引率してもらったことは憶えている。f:id:mfujino706:20200319163157j:plain
この銀杏の木の根っこで遊んだことは今でも鮮明に思い出すことができる。

ガラシャ夫人隠棲の地

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経ヶ岬から世屋高原を経由して宮津に出る道を目指したのだが、直通の道路はないようで、道に迷ってうろうろとしていたらこんな場所に出てしまった。f:id:mfujino706:20200318132503j:plain
明智光秀の娘で細川忠興夫人玉子、洗礼名ガラシャが隠れ住んでいた場所だということである。ただし、歴史の常として諸説あり、京丹波町三戸野と言う場所だったという話もあるそうだ(ここは京丹後市味土野)。f:id:mfujino706:20200318132517j:plain
丹後半島の山奥であり、道に迷わなければ来ることはなかったであろう。

天性寺Jun'20

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このお寺の前は頻繁に通っているが、石碑の存在は初めて気が付いた。
江戸時代後期の画家原材中の墓があると刻まれているが、その他の人は浅学非才ゆえ名前すら聞いたことがない。

どくだみの花

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どくだみの花もこうやって生ければそれらしく見えるから不思議である。
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以前は花の咲く前にせっせとどくだみを抜いていたが、とても駆除できるものでもないと諦めて、最近は愛でるようにしている。

松ヶ崎

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古来陰陽道では、北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。

鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、裏鬼門には石清水八幡宮が当てられた。
庶民の家でも様々な工夫がなされ、鬼の嫌がる柊の木を植えたり、難を転ずるとして南天を植える家も多い。

現代でも京都の街なかにはいたるところに鬼門除けを見ることが出来る。
そんな中、ここではちょっと変わった鬼門除けを載せていきたい。f:id:mfujino706:20200407160618j:plain
松ヶ崎の高級住宅街の一角に、1軒だけ鬼門除けを施している家があった。
白い玉砂利に柊の植木鉢と二重の備えである。

赤尾照文堂移転

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人並みに自宅で大人しくしていたので、久しぶりに繁華街へ出てみると、町並み一変とは言わないが、知らない店がたくさん増えていた。f:id:mfujino706:20200616174620j:plain
そんな中でこんな貼り紙を見つけた。
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随分昔からビルとビルに挟まれて孤高を保っていたような店構えだったが、移転となるとちょっぴり寂しい。
何度か店内に入ったことはあったが、専門書ばかりで文字通り敷居が高かった。
木版画が中心とは今回初めて知った。

それにしても、隣と合わせてこれからビルを建てるのだろうか?まさかホテルではあるまい!?