庭のシュウメイギクが花盛りなので、何輪か手折って花瓶に挿してみた。
小学生の頃は「襲名菊」だと思っていた。多分、その時分に誰か歌舞伎役者の襲名があったから、そう思い込んでいたのだと記憶している。
7月から今月初旬まで開催されていた学校歴史博物館の特別企画展「近代京都の自然教育の歩み-SDGs達成のために」に出かけてきた。
明治2年、全国に先駆けて京都市内に開設された64のいわゆる番組小学校の一つ、旧開智小学校に建っている。
自然教育とSDGsにどのような関係があるのか訝る人がいるかもしれないが、挨拶文によると、人間と自然の関係をめぐる課題に対して、京都ではその解決への示唆に富む興味深い「自然教育」の歴史の蓄積があったことは余り知られていないので紹介したとのこと。
昔懐かしの小学校の風景が今でも残っている。
この企画展に関連した図録も発刊されている。
その中には僕の寄贈した資料が3点も掲載されているから驚いた。
1点目
小学2年生の夏休みの宿題で製作した「工作」が表彰を受けた時のもの。
2点目
「児童の継続した努力」と書かれていてうれしい。
巻末の謝辞欄に名前が書いてある。
古来陰陽道では、北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。
鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、裏鬼門には石清水八幡宮が当てられた。
庶民の家でも様々な工夫がなされ、鬼の嫌がる柊の木を植えたり、難を転ずるとして南天を植える家も多い。
現代でも京都の街なかにはいたるところに鬼門除けを見ることが出来る。
そんな中、ここではちょっと変わった鬼門除けを載せていきたい。
大谷祖廟への墓参の帰り、いつもは通らない道を歩いてみると、思わぬ発見があった。
田の字地区ではないので、厳密には南西の角ではないのだが(面している道路は東西方向からは少し傾いている)、現代建築でも風習が息づいているのが見て取れた。