御土居


豊臣秀吉が都を守護するために築いた土塁は御土居と呼ばれ、今でも鷹峯や北野天満宮など市内何カ所かでその遺構を見ることが出来る。その内の一つが、上賀茂御薗橋近くにある。ここは丁度御土居の北東角にあたる場所で、外堀は埋められて道路になっている。
ここから内側が洛中で、反対に外側は洛外と呼ばれていた。
見ている人間の背の高さと比べても、その大きさが分かるだろう。

大原


10月末のこと、横浜から来たN君のリクエストにより、大原を訪ねてみた。
コスモスが一面に咲いていたがここだけだったので、自生ではなく多分栽培しているのかもしれない。



三千院境内にある金色不動堂では、ちょうど秘仏の金色不動明王が公開されていて、法要の最中であった。

大原の紅葉はまだこれからというところか。

平日にもかかわらず、三千院寂光院には多くの参拝客が訪れていて、観光客復活の兆しを感じたところである。

平安神宮・白虎と青龍


平安神宮の応天門を入ったところ、白虎楼の前に白虎がいるのは知らなかった。
対角線の向こうには青龍楼が聳えている。

大極殿に帰っていく桓武天皇の鳳輦。

時代祭


時代祭は、平安遷都1100年を記念して創建された平安神宮の記念行事として、明治28年に始まった京都三大祭りの一つである。平安神宮の祭と言うより、京都市全域で構成される平安講社が主体となって行っている。

我が学区は9年に一度担当が廻って来る(今回はコロナの影響で2年延期になったが)。供奉役というその他大勢を各町内から一人づつ出すので、今年はお鉢が回ってきた。


祭りが始まってしまえば写真は撮れないので、出発までの待機中に撮影した。
我々のすぐ後ろが巴御前清少納言紫式部小野小町で、宮川町の芸舞妓が扮しているとあって、多くのカメラマンに取り囲まれていた。
同僚の晴れ姿を見ようと本物の舞妓さんたちも取り囲んでいた。



馬上の巴御前は一番人気である。


午前10時に地元を出発し学区内を一巡して京都御所に集合。祭りは12時に建礼門前からスタートするが、我々はその1時間後、堺町御門を出るのに30分を要した。歩いてい入る時間より立ち止まっている時間の方が長いと思えたが、平安神宮には3時半に無事到着。歩数16,000歩、走行距離9km、時速3.6kmのお祭り参加であった。

行列を終えた紫式部を撮らせてもらった。


行列は桓武天皇孝明天皇の鳳輦が本殿に安置されて終了となる。一般の人はこれを見ることができないので、役得であった。