島原・角屋


置屋さんから芸舞妓を呼んで宴会を催す場所を祇園ではお茶屋と呼ぶが、ここ島原では揚屋と呼んでいる。現存する唯一の揚屋建築である角屋も廃業し、現在では角屋おもてなしの美術館となっている。幕末には久坂瑞や西郷隆盛もたびたび訪れているし、壬生の屯所が近かった新撰組もよく来ていたらしい。角屋ではこれらが鉢合わせしないよう上手く裁いたとのことであるが果たしてどうか。近藤勇の書があるのはここかあるいは輪違屋だったか、、、。円山応挙与謝蕪村も残されている。



この場所は平安時代は東鴻臚館があり、その頃から接待・おもてなしの場所であったことが窺い知れる(碑文によると、渤海国専門であったらしい)。