岩倉具視幽棲旧宅







岩倉具視尊皇攘夷派に睨まれて洛外に蟄居したのがこの岩倉(当時は岩倉村)である。岩倉具視がいたからその名がついたとか、その領地だったから岩倉という地名になったとかいうことはなく、たまたま岩倉村に逃れたということだったらしい(間違っていればどなたかご指摘を)。旧宅は改修中で見学できなかったが、隣の資料館が思いがけなくヒットであった。土蔵を改造したような狭いところであるが、いろんな歴史的な文書を見ることが出来た。なかでも江戸攻撃を止めさせるべく、和宮が岩倉宛に書いた書状が展示されていた。文末の署名に静寛院(出家後の和宮)と書かれている。和宮降嫁に際して岩倉の影響力が大きかったことを物語る一こまではないだろうか?