こちらが本物?不動堂村屯所跡




新撰組最盛期(そして最後)の屯所があったのがこの辺りである。その当時の住所で言えば、葛野郡不動堂村ということになる。それより遡ること数百年前は、八条院町と呼ばれ鋳物生産が盛んな地であった。さらに平安京では左京八条二坊十五町にあたったとのことである。どうしてそんなことが分かるのか、発掘調査なのか、古文書、文献のお陰か、、、。どちらにしても、一つの場所の変遷が千年以上にわたって明らかになるというのは凄いことだと、素人は思ってしまう。

しかしながらこの碑文(西洞院塩小路角のホテルの一角に立っている)を書いている中村武生さんによれば、新撰組屯所はこの辺りにあったのは間違いないが、確実な場所まで分からないと書かれている。「価値の低い文献・叙述による復元は避けなければならない」と書かれているのは、暗にここのことを指しているのだろうか?あるいは一般論か?よく分からないことである。