平重衡塚

法界寺から醍醐寺へ向かって歩いていると、住宅街の中に小さな公園があった。その一角に平重衡の墓と称する塚を見つけた。案内板によると、鎌倉からならに引き渡される際にこの地に居た奥方と別れを惜しんだとある。
東大寺の大仏さんや興福寺を焼き討ちにしたのは、この重衡だと言われている。
この直ぐそばを奈良街道が走っているが、平安時代は木幡から宇治を通って奈良へ至る道だったのだろう。