小倉山



六丁峠から東海自然歩道を外れしばらく細い山道を登ると、この石畳に出る。
新しい山陰線を作るとき小倉山の下にトンネルを通したが、その時出た残土を運ぶ(捨てる)ための道路である。
後に大問題となり、残土は撤去されたと聞く。


展望台とあるが、小倉山頂上からは何も見えなかった。
藤原定家がこの山のふもとで編纂したのが、小倉百人一首である。


「小倉山峰のもみじ葉」は今一つであったが、
こんなところまで外国人が登ってきているとは意外であった。


その代わり眼下に大覚寺や嵯峨野の田園地帯、遠くに比叡山を望むことができた。




亀山公園をトロッコ嵐山駅まで下り、なるべく観光客のいないところを選んで帰途に就いたが、常寂光寺までは人の波であった。その代わり、山では見られなかった鮮やかな紅葉を各所で見ることができた。