伏見御堂

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東本願寺の伏見別院だが、創建の経緯から伏見御坊と呼ばれている。f:id:mfujino706:20210315110453j:plain
こちらの碑が詳しい。
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鳥羽伏見の戦いのときは、会津藩がここを幕営地とし、御香宮に陣を張る薩摩藩と交戦した。徳川幕府軍の本拠地であった伏見奉行所も近い。

花園寺ノ前町

古来陰陽道では、北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。
鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、裏鬼門には石清水八幡宮が当てられた。
庶民の家でも様々な工夫がなされ、鬼の嫌がる柊の木を植えたり、難を転ずるとして南天を植える家も多い。
現代でも京都の街なかにはいたるところに鬼門除けを見ることが出来る。
そんな中、ここではちょっと変わった鬼門除けを載せていきたい。f:id:mfujino706:20210307114818j:plain
鬼門除けの縁に、石で刻んだお地蔵さんのようなものまで置いている。f:id:mfujino706:20210307114835j:plain
田の字地区の外側になると、大きな面積の鬼門除けを見かけることが時々ある。

京都御苑間之町口

f:id:mfujino706:20210504145934j:plain京都御苑間之町口が整備を終えて、ガラッと一新した姿を現した。f:id:mfujino706:20210516170200j:plainf:id:mfujino706:20210516170115j:plain
立派な石や袖垣も設けられ、ちゃんとした庭園風に生まれ変わった。f:id:mfujino706:20210407170502j:plain
地下鉄駅徒歩1分と言う立地で、観光客を意識したのだろうか?
かつてこの一帯は通勤通学に使う不法駐輪自転車が大挙して並んでいたが、その対策の意味もあったのかもしれない。環境省の管轄で、市内と比べて撤去される頻度は極端に単に少なかったのが災いしていたが、それらの自転車はどこに消えたのだろうか?f:id:mfujino706:20210407170531j:plain

出町桝形商店街

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四六時中行列のできるお饅頭屋さんとしてあまりにも有名な出町ふたば
この日は4列になっていて、誘導員が交通整理をしていた。f:id:mfujino706:20210504131112j:plain
1軒おいて南にある岡田商会も良く行列が出来ている。精肉以上に人気があるのが、揚げたてのコロッケやとんかつ、特にハムカツは昔懐かしい味がする。f:id:mfujino706:20210504125330j:plainf:id:mfujino706:20210504125341j:plain
満寿形屋の名物は、きつねうどんと鯖寿司のセット。以前はこれで1000円だったが今はどうだろうか?店頭の見えるところで、鯖寿司を作ってい入るのを見るのも楽しい。

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ここ出町は若狭から続く鯖街道の終点である。

出町桝形商店街はこれ以外にも個性あふれる店が多くあり、小さいながら活気あふれる商店街である。

高麗寺跡

f:id:mfujino706:20210502122602j:plain京都新聞の一面に、「渡りくる人々」と題する小さなコラムが毎日掲載されている。古代史において、日本列島には朝鮮半島や中国大陸から多くの渡来人が上陸し住み着いたことを、井上満郎京都市歴史資料館館長が解説している。このコラム欄は通常1年単位で変わるので、365回分のネタがあるほど渡来人の影響は大きいのだろう。

この高麗寺跡もその一つで、朝鮮半島から渡ってきてこの地に住みつた高麗氏が建てたお寺の跡である。今は木津川市編入されたが、旧の名前は上狛町(かみこまちょう)である。木津川を挟んで対岸には下狛もある。f:id:mfujino706:20210502122641j:plainf:id:mfujino706:20210502122756j:plain

京都盆地にはこの他、主に北域に、秦氏、小野氏、八坂氏、土師氏などの渡来人が住み着いたことが知られている。