1月の上高地・祝30周年


昨年に引き続き厳寒の上高地に挑んだ。

今回は永年の山仲間5人衆のうち仕事の都合で2人が参加できなかったが、20歳も若い二人に引っ張ってもらい何とか踏破することができた。

冬季は車が通れないので、ここから歩く。釜トンネルは長さ1310mをかけて100mほどの高さをほぼ一直線に登る。最大勾配10.9%で、昨年はここを通過するのに1時間近くかかってしまったが、今年はトレーニングのせいかほぼコースタイム通りの30分強で通過することができた。

振り返ってみれば初めてこのメンバーで奥穂高岳に登ったのが1993年で、それを記念して特大の横断幕を前夜に宿で作成し、河童橋で掲げることができた。

釜トンネルの次の上高地トンネルを抜けるとまもなく寒々しい大正池が見えてくる。
墨絵の世界である。

最後は梓川左岸を歩いたが余り踏み固められていなくて、何度も膝までずっぽりと踏み外し難渋しながら河童橋にたどり着いた。

夏には鈴なりの人だかりがしている河童橋に人影がないのは稀有なことである。この日上高地に入山した人は30人程度だったかもしれない。


昼食はK君肝いりのステーキ定食。自宅で使っているフライパンやまな板、包丁などの調理道具、2種類のたれやスパイスを持参するなど本格的な料理である。予めカットした肉900gを豪快に焼いたが、寒すぎてさすがに缶ビールやワインには手が届かなかった。コーヒーもインスタントではなく豆から沸かしてくれた。


翌朝宿から見た吊り尾根。奥穂や前穂、明神が鮮やかに見える。

河童橋ライブカメラを写真に収めた。1日違っていたらこのような景色が見られたのにと思うと残念ではあるが、こればかりはどうしようもない。大雨に振られなかっただけ良しとせねばなるまい。

綜芸種智院跡


綜芸種智院と言えば、弘法大師が建てた大学と高校の歴史で習った記憶がある。
その跡地には、西福寺というお寺が建てられている。
写真を撮っている時、長いこと熱心に拝んでいる女性がいたが、安産石薬師如来という石碑が立っている所を見ると、その祈願かもしれない。

因みに、近鉄向島駅ホームから見える種智院大学は、綜芸種智院の流れを汲んで真言宗が設立した大学で、学生数120名と、多分京都で一番小さな大学かもしれない。

願照寺Jan'24


宝引きという言葉は初めて聞いた。
仏教界では福引のような意味があるのだろうか?

欲張って「全部ほしい」と言えば、「蜘蛛の糸」のように切れてしまうのだろうか⁉

般舟院陵


京都の街中を歩いていると、思わぬ場所で「御陵」に出くわすことがある。
平安時代以来、歴代天皇は鳥辺野や嵯峨野に埋葬されていることが多いが、後土御門天皇といえば室町時代応仁の乱前後の人で、この時代この場所(今出川千本)は決して辺鄙なところではなかったと推察するが、果たしてどうだったのだろう。

それにしても多くの皇族(主に皇子や皇女)が埋葬されているものである。

オオモリ・サンバレイ

夏の町内行事と言えば地蔵盆であるが、我が町内では冬(12月)にレクリエーションと称する大人のための行事がある(多分どこの町内もそうだと思うが)。町内のコミュニケーションを図り、親睦を深める重大な行事である。

どんな行事にするかは毎年の会長さんが悩むところではあるが、今年は高雄の奥の大森地区まで出かけた。
マイクロバスで送迎してくれたが、紅葉シーズンが終わっていたせいもあり、北山杉の里である中川を抜けて周山街道を走り、意外と早く1時間弱で着くことができた。

農家の大広間で鶏のすき焼きを食したのだが、隣の部屋には昔ながらの囲炉裏もあり、町内の長老がタバコを燻らす姿も絵になる⁉

食事が終われば、餅つき大会。80代の女性もことわざ通り「昔取った杵柄」を体現していた。
搗き立てのお餅は皆で丸めてヨモギ餅に。とても美味しかった。