昨年末の30日、お墓参りを終えて祇園石段下のいづ重を訪れた。持ち帰り用に名物の箱寿司を求めたが、年末の大混雑のせいか、30分ほど待ってようやく手にすることが出来た。狭い店内で食する客も多く、こちらはもっと待ったようである。店頭にあるwaiting listはよくある鉛筆やボールペンで記入するのではなく、毛筆であった。そのための墨と硯も準備されていたのには、いささか驚いた。
色鮮やかな箱寿司は、ひらめ、えび、とりがい、焼き身、厚焼き玉子で構成される押しずしである。美味しいことは間違いないが、これで1944円を高いと感じるかどうか!?
霊源院
通常非公開である建仁寺塔頭霊源院が特別公開をしていたので拝観してきた。
建立当初は、現在の総合大学としての機能を備え、「建仁寺の学問面」を代表する寺院であった(パンフレットより)。今川義元や一休宗純も修行をしていて、彼らの書が残されているほか、織田信長の書状もあった。
このお庭は、鶴鳴九皐(かくめい きゅうこう)と名付けられた令和の枯山水庭園であり、作庭家中根金作の孫二人が初めて手掛けた庭である。
今回の目玉は、天井画の龍であった。これを描いたのは、中国の若手写真家であり、座禅体験をきっかけに依頼することになったようである。
丁度住職が説明をしてくれたのだが、畳に仰向けになって天井を眺めることを勧められ、写真もOKだった(これは仰向けに撮った一枚)。
面白いのは、この天井画やお庭にはお寺としてお金を払っていないとのこと。天井画は資生堂、お庭は祗園辻利がスポンサーである。参拝客などから喜捨を受けた浄財を、この様なものに使ってはいけないのだという説明だったが、それでは何に使うのかよく分からない?
竹田西樋井町
古来陰陽道では、北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、
また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。
この鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、
裏鬼門の守護には石清水八幡宮が当てられた。
庶民の家でも様々な工夫がなされ、鬼の嫌がる柊の木を植えたり、
難を転ずるとして南天を植える家も多い。
現代でも京都の街なかにはいたるところに鬼門除けを見ることが出来る。
そんな中、ここではちょっと変わった鬼門除けを載せていきたい。
田の字地区からは遠く離れた場所でも、鬼門除けが施されている。
しかも近代的なマンションであるというのが、研究している者としてはうれしい。
鬼門除け・下立売千本
古来陰陽道では、北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、
また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。
この鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、
裏鬼門の守護には石清水八幡宮が当てられた。
庶民の家でも様々な工夫がなされ、鬼の嫌がる柊の木を植えたり、
難を転ずるとして南天を植える家も多い。
現代でも京都の街なかにはいたるところに鬼門除けを見ることが出来る。
そんな中、ここではちょっと変わった鬼門除けを載せていきたい。
下立売通りの堀川から西大路までの間を歩くと、結構な数の鬼門除けを見ることが出来る。
こちらの鬼門除けは、比較的新しいのではないかと判断できる。