平安女学院・150周年 その2


有栖川旧邸の南側にあるのが聖アグネス教会で、日本聖公会京都教区のカテドラルであり、平安女学院の礼拝堂でもある。いかにも荘厳な西洋風な教会建築は、烏丸通を挟んだ和の京都御所(御苑のことを市民はこう呼んでいる)との対比が美しく、昔から市民に親しまれている。

この前を数えきれないぐらい通っているが、中に入ったのは初めてである。

設計者のガーディナーは宣教師で、円山公園にある長楽館の設計者でもある。
多数のステンドグラスに飾られているが、これも彼のデザインであるらしい。

近くにあるヴォーリス建築の大丸ビラと似ているようだが、ガーディナーという名は初めて知った。


井戸(活水と読める)にカエルの石像があるのが、キリスト教建築らしからぬ異彩を放っている。

平安女学院・150周年


京都のお嬢様学校の一つとして知られる平安女学院は、明治8(1875)年に創立され来年で150周年を迎える。
それを記念して普段は非公開の有栖川旧邸が期間限定で公開され、見学に出かけた。
公家のお屋敷としては、京都御苑にある旧閑院宮が常時見学可能だが、そちらに比べて広大な建屋だと感じる。貴族の格としてはどちらが上だったのだろうか?

広いお座敷には、炉が切ってあるのはもちろん、能舞台まで設置されている。


後陽成天皇の第七皇子から連なる系譜であるが、なんといっても有名なのは、明治維新の有栖川熾仁親王であろう。東征大総督として官軍追討のため東海道を下っていく姿は、「宮さん、宮さん、お馬の前を、、、」のわらべ歌になったほどである。

いつもは烏丸通から塀越しに立派な枝垂桜を見ていたが、またとない機会を得た。

いただいた案内文によると、このお屋敷は明治6年に京都裁判所の仮庁舎になり、その後京都地裁長官官舎として2007年まで使用されていたとのこと。
歴代長官もこの桜を愛でていたのだろうか?贅沢な役人生活である。

源氏物語講座・光源氏という思想


堀川高校をはじめ京都市内の高校で長年教鞭を執ってこられた岸本さんは、毎年この時期に堀川高校源氏物語の講義を行っている。山仲間というご縁で毎回ご案内をいただき、時間の許す限り参加している。今年で何回目になるだろうか?


今回は光源氏の生涯を年代を追って解説し、18歳の輝ける青春から20歳の驕りの青春に始まり、怖いものなどなかった時代を経て、葵上の死や六条御息所との別れなど、後悔の時代へと入っていく。
さらには六条院を造営し天皇の僥倖を仰ぐなど栄華が極まっていくが、
その後紫の上の死や女三宮の密通を経験し、若さに嫉妬する「自分がかつては軽蔑した老人となっていく」という解説には気づかされることが多かった。

結局のところ、源氏物語光源氏の孤独な魂の物語であるという、岸本さんの解釈は面白かった。

100人ほどの聴衆のうち、男性は1割もいなかっただろう。
昔も今も、女性に人気のある物語だということができるかもしれない。

桜・出水の小川


枝垂桜は染井吉野より早く咲くと聞いていたが、それでも今年は例年より遅いようである。

長年この桜を見ているが、これほどの人出を見たのは初めてである。
外国人の姿もかなり多かった。

同じ京都御所(京都の人は御苑のことをこう呼ぶ)でも、近衛邸の糸桜はもっとすごい人出かもしれない。


ちょうど16年前はこのように咲いていた。