知り合い(特に関東の人)の中には、京都に関して僕よりはるかに詳しく、大好きな人が何人もいる。その中の一人に教えられて、東福寺塔頭の即宗院の特別公開最終日に出かけた。薩摩藩の畿内菩提所だった関係で、西郷隆盛が僧月照をこの地に匿い、謀議を図ったところである。裏山には、鳥羽伏見の戦いや戊辰戦争で亡くなった524人の名前を刻んだ「東征戦亡の碑」がある。これは西郷さんが戦死者の霊を供養するため斎戒沐浴して、一人ひとりの名前を揮毫したもので、明治2年に建立された。姓名のある武士だけでなく、夫役に借り出されたであろう町民、農民の名前(名字がない)もあるところが、西郷さんらしいのかな?敬天愛人の書に見られる豪快な筆致ではなく、楷書に近い几帳面な字体は、西郷さんが郡方書役助を勤めていた影響があるのかもしれない。
鳥羽伏見の戦いの時には薩摩軍の屯営が置かれ、裏山に敷いた砲列から幕府軍に砲撃を浴びせたそうな。ここから鳥羽街道まで飛んだとすればかなり長い距離である。その命中度はどんなものだったか想像してみるのも面白い。
残念ながら電池切れのためカメラは役に立たず、今度公開されるときには万全の体制で臨みたいと思う。