花だより・出水の小川


出水の小川の桜と言えば枝垂桜が有名だが、それが咲き終わった頃その向かいにあるこちらの八重桜が咲き始める。枝垂れと違って人の出は少ない。


こちらは緑色のつぼみをつけているが、何の種類の桜だろうか?


桜に誘われて(?)番のオシドリが優雅に散策している。
人がいることなど全く意に介していない。

人出は少ないとはいえ、外国人観光客がミニ宴会を。

赤ちゃん連れのお母さんたちも、束の間の花見を楽しんでいた。


ソメイヨシノと違って背が低いので、身近で桜を愛でることができる。

花だより・金戒光明寺


4月第1週のこと。
横浜から来た友人夫婦を案内して桜巡りをして来た。
彼らは事前に行きたいところを地図の上にプロットして準備していたが、その希望をかなえつつなるべく観光客の少ない穴場を訪ねた。
黒谷さん(金戒光明寺)は浄土宗京都四箇本山の一つであるが、ここに来る前に訪れた超混雑のインクラインとは対照的に観光客は少なかった。何よりほとんど外国人がいなかった。



幕末に京都守護職となった松平容保が本陣を敷いた所として知られている。その縁で、会津藩戦没者墓地がある。

数々の著名人のお墓もあるが、明智光秀重臣であった斎藤利三春日局の父)と室町時代の絵師海北友松のお墓が隣り合っている。調べてみると、この二人は友人であったとのこと。

少し前の写真ではあるが、この五劫思惟阿弥陀仏が近年脚光を浴びるようになってきている。

平安女学院・150周年 その2


有栖川旧邸の南側にあるのが聖アグネス教会で、日本聖公会京都教区のカテドラルであり、平安女学院の礼拝堂でもある。いかにも荘厳な西洋風な教会建築は、烏丸通を挟んだ和の京都御所(御苑のことを市民はこう呼んでいる)との対比が美しく、昔から市民に親しまれている。

この前を数えきれないぐらい通っているが、中に入ったのは初めてである。

設計者のガーディナーは宣教師で、円山公園にある長楽館の設計者でもある。
多数のステンドグラスに飾られているが、これも彼のデザインであるらしい。

近くにあるヴォーリス建築の大丸ビラと似ているようだが、ガーディナーという名は初めて知った。


井戸(活水と読める)にカエルの石像があるのが、キリスト教建築らしからぬ異彩を放っている。

平安女学院・150周年


京都のお嬢様学校の一つとして知られる平安女学院は、明治8(1875)年に創立され来年で150周年を迎える。
それを記念して普段は非公開の有栖川旧邸が期間限定で公開され、見学に出かけた。
公家のお屋敷としては、京都御苑にある旧閑院宮が常時見学可能だが、そちらに比べて広大な建屋だと感じる。貴族の格としてはどちらが上だったのだろうか?

広いお座敷には、炉が切ってあるのはもちろん、能舞台まで設置されている。


後陽成天皇の第七皇子から連なる系譜であるが、なんといっても有名なのは、明治維新の有栖川熾仁親王であろう。東征大総督として官軍追討のため東海道を下っていく姿は、「宮さん、宮さん、お馬の前を、、、」のわらべ歌になったほどである。

いつもは烏丸通から塀越しに立派な枝垂桜を見ていたが、またとない機会を得た。

いただいた案内文によると、このお屋敷は明治6年に京都裁判所の仮庁舎になり、その後京都地裁長官官舎として2007年まで使用されていたとのこと。
歴代長官もこの桜を愛でていたのだろうか?贅沢な役人生活である。