2019-01-01から1年間の記事一覧
明治時代以前は神仏習合だったため、今でもお寺の中に神社があるのはそう珍しいことではないが、ここ仁和寺は少し大きく派手である。案内文によれば、仁和寺初代別当の幽仙が各地から勧請したとのこと。 八幡三神(石清水八幡宮)、賀茂上下(下鴨神社・上賀…
この見慣れた表示も9月30日でお終い。 今月からは「京都河原町」と「大阪梅田」に変更になった。 外国から来た人が河原町を京都と認識できないからという理由らしいが、別にそこまでする必要があるのだろうか(現に、Osaka Umedaと表記されている)。 本音は…
京の夏の旅で特別公開されている仁和寺に出かけてきた。 「幻の観音障壁画初公開」というキャッチに魅かれ、373年前の輝きが蘇ったという障壁画を拝観した。 この紐は堂内中央の千手観音菩薩の手につながっているというので、ひもを握って願いを唱える人が多…
このお寺の法語には榎本栄一が良く出てくる。どんな人物か知らなかったのでネットで調べてみたら、仏教詩人とあった。仏教詩人とはどんなジャンルの人だろうか?
心配された台風も去ったようなので、お彼岸の墓参りを行った。運よく(?)この日の朝にご近所さんからおはぎと桃をいただいたので早速お供えをした。 お墓から降りてきたところにある大谷祖廟(東本願寺で言うところの親鸞聖人の墓所)で、お揃いのラグビー…
浄土宗京都4本山の一つである金戒光明寺は黒谷さんという愛称で京都の人々に親しまれている。 近年ではこの仏さんがアフロ仏として変な人気を呼んでいる。 他の仏像と同じく普通に鎮座されているが、その人気にあやかろうとしてか、案内看板まで設置されて…
ここのご住職は余程本好きと見える。小説や詩集からの引用をよく目にする。
いよいよラグビーワールドカップ(RWC)が20日から始まる。最終のボランティアトレーニング(ベニュートレーニングという)が先月末花園ラグビー場で開かれたので参加してきた。ラストマイルと呼ばれる東花園駅からラグビー場までの道には、いろんな装飾が施…
9月9日、重用の節句だというのに36度の猛暑日。 「いまを素直に受け止めることができない」私がいる。
京都の町家には、出窓風のショーウィンドーとも呼ぶべき空間を持っているところが多い。 その中でも特に商売とは関係なさそうなものに注目してみる。 この器(ディスプレー)はよく使用されているので馴染みはあるが、以前の展示物(茶わん)に代わって、お…
週に一度行く非常勤の職場の徒歩5分圏内にある飲食店が相次いで閉店となった。 聞くところによると、高齢化に伴う後継者難とのこと。 こちらの店の理由は不詳。 一番よく利用していた店だが、幸いにも閉店ではなく、怪我による一時的な休業だったのでほっと…
久し振りに(お寺らしい)直球に出会った気がする。
いよいよ9月1日から特別公開が始まった。何しろ初めてのことなので、予想外のことが多く片付けなど事前準備に大いに手間取った。 それでも初日は日曜日ということもあり多くの人にご来場いただくことができた。 SKYのボランティアガイドさんが4名張り付いて…
我々の小さい頃は、地蔵盆と言えば8月23、24日ということで固定されていたが、最近ではその前後の土日に開催するところがほとんどである。地蔵盆が終わってから夏休みの宿題の追い込みに掛かるのが一般的であり懐かしくもあるが、それは夏休みが8月31日まで…
祖父の50回忌法要の後で、近所のフレンチレストランで会食した。この店は最近ミシュランの☆を取ったばかりである。壁にかかっているのは本物かと尋ねたら、30万円との答えが帰ってきた。 このお皿は2万円とのこと。ただでさえ慣れないフレンチ料理に緊張して…
同志社大学新町校地にはもともと日本電池、(今ではGSユアサバッテリーと名を変えている)の本社があったことを初めて知った。 碑文によると、本社が西大路八条に移転した後、1959年に同志社が買い取ったとのこと。 それ以前の室町時代頃には、五摂家筆頭の…
話し上手より聞き上手になれということかな? そういえば、「巧言令色鮮し仁」という有名な言葉があった。
第44回」京の夏の旅は7月から行われているが、我が家の初公開がいよいよ10日後に迫ってきた。京都新聞で大きく取り上げていただいたので、いろんな人からメールや電話があり、その反響の大きさに驚いている。この行事は京都市観光協会主催であり、我が家はそ…
興正寺はもとは本願寺と一体であったが、江戸時代になって本願寺と対立し、遂には明治9年に独立し真宗興正寺派を興した。対立しているとはいいながら、西本願寺の南隣に位置するのは、昔からである。
心配された台風の影響もなく、今年の五山の送り火は無事終了した。この辺りもしばらくの間は静寂を保つことだろう。
これがなかなか難しい。 ここに本因坊という塔頭があり、碁に傑出したお坊さんがいて、本因坊算砂と名乗り家元のようになったらしい。
極めてクローズドな集まりで、大文字保存会長谷川会長の話を2時間に渡って聞く機会があった。 送り火はこの世に帰ってきた精霊を再びあの世に送るというお盆の行事であり、広く行われるようになったのは、仏教が庶民の間に浸透していった室町時代以降である…
少し前のことだが、行きつけの小料理屋さんの仲間たち(松長仏像部と称す)と国宝十一面観世音がおられることで有名な高月町の渡岸寺にお詣りしてきた。 噂にたがわぬ素晴らしい観音様で、人々が魅了されるのが良く分かる。 元亀元年の浅井氏と織田氏の合戦…
そういえば、暁天講座は今や夏の風物詩と言われているほどである。各宗派の本山だけでなく、中小の寺院でも開催しているところが多い。 偉いお坊さんの説教が主だが、中には有名人が喋るところもある。終わった後朝食が振る舞われることが多いが、以前参加し…
早稲田大学歴史館で開かれている「資料に刻まれた早稲田の歴史」展に出かけてきた。 昨年1年間に寄贈された資料のお披露目みたいな展示で、28人が何らかの資料を寄贈していた。 僕もその内の一人だが他の人の重厚な資料と比べると恥ずかしいものである。 事…
友人M君が入洛したのでかねてから訪れてみたかった地蔵院に参拝した。 通称竹の寺と呼ばれる竹の参道が見事な臨済宗の小さなお寺である(お庭の苔もきれいだった)。 十六羅漢の庭や猪目窓など趣のあるスポットは撮影禁止で残念であった。市街地から遠く離れ…
祇園祭は7月17日や24日の巡行、あるいは宵山だけの祭りと誤解されがちだが、1日の切符入りに始まり、31日の疫神社の夏越祓で終わる壮大なお祭りである。
このお寺にしては、ずいぶん凝った法語に仕上げてある。
先祭りの喧騒もなく、落ち着いた風情が好きだ。 橋弁慶山の人形は室町時代の作で、弁慶は1563年、牛若丸は1537年。何気なく飾られているようだが、すごい歴史である。