その通り。 絵が大分凝ってきた。
京都新聞社からお声がけいただき、月に1回コラムを担当することになった。 大したことは書けていないのだが、掲載日には朝から多くの反応をいただき、 京都新聞が地元に根差していることを改めて感じた次第である。すぐにでもブログにupしたかったので転載…
三室戸寺は花の寺として知られ、特にアジサイが有名である。 サラリーマン時代の同期が夫人同伴で、アジサイを見るために浦安、川崎、岸和田からやってきた 残念ながらまだ早かったようで、これが精いっぱいであった。 このお寺は西国三十三か所観音霊場の第…
妙顕寺は西陣にある日蓮宗の大寺院だが、もとはこの地に在ったとは知らなかった。 豊臣秀吉が移築させ、跡に城のような屋敷を造って、京都の政庁としたこともなおさら知らなかった。 現在はこのようなお寺が建っている。
古来、陰陽道では北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。この鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、裏鬼門の守護には石清水八幡宮が当て…
ぜひとも拝観してみたいお寺の一つではあるが、数ある大徳寺の塔頭の中でも非公開を貫いており、念願はかなっていない。 国宝の三大お茶室のうちの一つ、密庵席があるのは知られているが、ほとんどの人は見たこともないはずである。その他、日本に現存する国…
花に喜びや悲しみがあるとの考え方は難解ではあるが、お寺の法語にふさわしいのかもしれない。
中世、京の都からこの雲母坂を通って多くの僧が比叡山に修行に上がった。 また、千日回峰行の阿闍梨さんは、京都大回りの行き帰りにこの道を通る。 叡電修学院駅から隠れた紅葉の名所鷺ノ森神社の境内を抜けて、いよいよ雲母坂の上りになる。 周辺には農家が…
その通り(自戒を込めて)
京都市の西南隣に向日市(むこうし)という人口6万人弱の小さな市がある。市の面積は7.72㎢で、西日本一小さな市と言われている。 歴史的には、平安京に都が遷る前10年間長岡京があった土地で、今も大極殿跡など多くの史跡が残っている。 この地には江戸時代…
京都の町家には、出窓風のショーウィンドーとも呼ぶべき空間を持っているところが多い。 その中でも特に商売とは関係なさそうなものに注目してみる。 何の花か知らないが、花器もユニークである。
宇治市ウトロ地区は、戦前この地に京都飛行場を建設する際、朝鮮人労働者の飯場を設置したのが始まりで、戦後飛行場建設は中止になり、土地の主権者によって立ち退きを迫られた町である。 最高裁まで行った裁判の結果住民が敗訴したが、その後国連社会権規約…
古来、陰陽道では北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。この鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、裏鬼門の守護には石清水八幡宮が当て…
我が家から徒歩10分くらいのところにある老舗のお蕎麦屋さん。 正式には本家尾張屋といい、応仁の乱の前年創業というから550年以上続いている、これぞ本物の老舗である。この前は数えきれないくらい通ったが、こんな行列ができているのは初めて見た。 多分、…
都をどりが耐震工事を終えた祇園甲部歌舞練場に7年ぶりに戻ってきた。 都が東京に移って寂れてしまった京都の復活を目指して明治5年に始まったのが149回も続いている(昨年、一昨年はコロナで中止された)、京都の春の風物詩の一つである。 「新華舞台」と…
残念ながら宇宙から地球を見たことがないので、推測でしかない。
空港ピアノや駅ピアノは世界中で見る(聞く)ことができるが、街角ピアノにはなかなかお目にかかれない。 亀岡駅のバス停の裏あたりの一角に、グランドではないがアップライトピアノが置かれている。 屋外なのでメンテナンスが難しいかもしれないが、設置し…
漢字で書くとこのようになる。 木香薔薇 アーチの向こうには本物の(?)バラも咲いているのだが、写真に収めることはできなかった。 この他、コデマリやニチリンソウも花を付けている。 隣にはこの間まで椿が赤い花を付けていた。百花繚乱とまでは行かない…
それぞれのお寺が独自の視点で法語を発していて、それぞれの個性がよく表れている。 皆さんはどこのお寺の法語がお好きだろうか?
上醍醐に登るのに前回はお金を惜しんで裏道を使ったが、今回は600円なりを支払って女人堂からの正式ルートを利用した。道が整備されていて、格段に登りやすかった。 女人堂からスタート 30分ほど登ったところにある不動の滝。お不動さんが祀られている。 …
蝉丸神社を出て2分ほどで京阪電車京津線(昔は京津電車と言った)大谷駅に着く。 駅が傾いている(?)せいか、ベンチが水平になるように作られている。珍百景に出てきそうだが、大谷選手の話題は盛り上がっているのに、こちらの大谷駅は至って静かである。
逢坂の関は、古来より東海道や中山道を通って東国から京の都に入るときの関門であった。 百人一首に三首選ばれているところを見ても、その当時から名高かったことが分かる。これやこの 行くも帰るも 別れては 知るも知らぬも 逢坂の関 (蝉丸) 名にし負はば…
古来、陰陽道では北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。この鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、裏鬼門の守護には石清水八幡宮が当て…
いつもは制作中の提灯が店頭で乾かされているが、番傘が干されているのは初めて見た。 なんだか唐傘小僧を連想していまい、ユーモラスな店頭となっている。12年前の記事を見ると、内藤傘提灯店の看板が揚がっている。
生者必滅会者定離が仏教の教えだと思うが、 この法語はその上を行っているのかもしれない⁉
醍醐三宝院の前では凡そ50人ぐらいの行列が午前9時の開門を待っていた。 豊臣秀吉で有名な醍醐の花見行列は通常4月第2日曜日だが、この調子ではその頃には散り始めているかもしれない。 我々の目的は上醍醐から牛尾観音、音羽山なので、行列には目もくれず桜…
保津川(大堰川)の右岸を渡月橋から遡って歩くこと30分弱で大悲閣千光寺にたどり着く。 嵐山の喧騒とは対照的に、訪れる人はほとんどいない。 保津川開削に貢献した角倉了以の木像。 対岸は大河内山荘の展望台とその右隣は亀山公園。 眼下には保津川が流れ…
このお寺の法語は独自の路線を貫いておられ、ある意味唯一無二かもしれない。
春のお彼岸の時期に、円山公園の枝垂桜がこれほどまでに開花しているのはあまり見たことがない。 見物客は圧倒的に外国人が多かった。 アジア系の人たちが喜んで撮影していた。
京都は開花宣言が間近だと思うが、京都御所近衛邸跡に咲く糸桜はすでに満開である。 例年と比べて早すぎるので皆さん気が付かないのか、見物客はまだ少なかった。 糸桜の手前に椿の大木があり、今を盛りと糸桜と競うように花を付けていた。 今出川通を挟んだ…