粟田口




古代より各地から京都につながる街道の出入り口を口と称し、その数は7とも10とも数えられたようである。近世に入り、豊臣秀吉御土居と呼ばれる土塁を京都を囲むように張り巡らし、口がさらに意識されるようになってきた。
この粟田口は、三条通(昔の東海道、中仙道)にあり、京都の東の入口のひとつであった。この付近にある粟田神社は「旅立ちの神」として信仰を集めていた。また、粟田焼発祥の地でもある。小学校の通用門も付近の景観に合わせて作られているのが、京都らしい?