気仙沼・南三陸

友人たちと仙台で会う用事があり、初めてだという友人を伴って次の日被災地を巡ってきた。
気仙沼は1年前とほとんど変化がなく、変わったことと言えば
フェリー乗り場の建物が取り壊されていたことくらいか。

食べきれないほど大盛りの海鮮丼(なんと1200円!)をいただいた
食堂の女性によれば、この復興屋台村は今年10月で終了とか。

復興を感じさせることと言えば、「高い防潮堤ができる」こと。
「海が見えなくなってしまい寂しい」という言葉が印象的であった。
ずっと海とともに生きてきた人ならではの思いがあるのかもしれない。

三陸志津川町を訪れたのは何回目だろうか?
半年前と比較しても町の中心部に建物が建った気配がない。
目につくものと言えば、至る所にある巨大な砂盛だけである。

3階建だった防災対策庁舎をはるかに上回る砂盛をして、この町はどこへ行こうとしているのか?
4年間の変化を写真で比較してみた。

 2015年3月

 2012年8月

 2011年6月

折しも今年になってから噴火湾震源とするマグニチュード5弱の地震が相次いだ。
地震の予兆だと心配する人もいるらしい。

オリンピックより復興が先だろうと思うのは今の日本では少数派に属するのかもしれない!?