応仁の乱勃発の地・御霊神社


京都の人が「先の戦争と言えば、応仁の乱である」というのは都市伝説だが、
昨年は応仁の乱が始まってから550年の節目の年であった。

山名宗全の屋敷があった辺りが西陣と呼ばれ、西陣織を始め今日までその名は良く知られているが、
翻って東陣の名前は一般には流布していなかった。

大まかに言えば、小川(こかわ)を挟んで東西が対峙し戦闘が行われた。
小川より東には細川勝元の屋敷があり、東陣と呼んでいいのかもしれない。

そんな前提で、「あれから550年、応仁の乱東陣周辺を歩く」というまち歩きを行った。

応仁の乱の端緒が開かれたと言われる御霊の森に、昨年このような碑が建立された。
碑文を書いているのは細川護熙元首相で、当時から続く家柄である。
因みにこの細川さんは、「以前は大きな屋敷を持っていたが、戦争で全部なくなりました」と
テレビで言っているのを見たことがあり、この当たりから都市伝説が生まれたのかもしれない。

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