2025-01-01から1年間の記事一覧

薩摩藩邸跡・同志社大学

同志社大学今出川キャンパス内の比較的目立たない場所で、このような展示が行われていた。 薩摩藩二本松屋敷は相国寺の借地であることはよく知られているが、現在の同志社キャンパスもそうなのだろうか? 建物改築の際に発掘調査も行われた。 三本木の遊郭が…

福性寺

10月半ばに牛松山(亀岡)に登り、下山してきてすぐのところにお寺があるのを見つけた。観光寺院ではないので入るのを躊躇ったが、参道の美しさに圧倒された門を開けた。 今頃は紅葉が見事なことだろう。 亀岡駅から徒歩で30分以上もかかるので、知る人しか…

高倉こども園Jul'25

さすが本山直営?の幼稚園である。 子どもたちも伸び伸びと育っているのだろう。

竹の店・かめやま

高台寺から清水寺で向かう二年坂の入り口にこの店はある。 経営者である知り合いのOさんを訪ね、色々と話しを聞かせてもらった。 この辺りは昔から観光客が多いところだが、ご多分に漏れず昨今はインバウンドで溢れている。 お店の主力商品は竹製のお箸と耳…

壊れゆく町家・堺町竹屋町

正確にいうと「壊れゆく」ではなく、「壊れてしまった」町家である。 ご近所にもかかわらず、以前どんな町家が建っていたのか思いだせない。相当な広さがあるので億は下らないが、こうなる前に何とかならなかったのだろうか。 最近では、幾松の解体が話題に…

鬼門除け・因幡堂町

古来、陰陽道では北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。 この鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、裏鬼門の守護には石清水八幡宮が当て…

とり市老舗

またこの季節がやってきた。 一篭10万円は残っていたが、3万円は売り切れていた。 マツタケは食べるものではなく、目で味わうものである。 少なくとも我が家では(苦笑)

願照寺Oct'25

定点観測ではないが、このお寺の法語を毎月楽しみにしている。 今月は今までとはちょっと異なる気がする。 絵が先にできたのだろうか?

霊源寺

西賀茂の住宅街の奥にあるこのお寺は、一部の人にしか知られていないと思われる。 江戸時代初期の創建で、浪士に狙われた岩倉具視が出家し一時隠れ住んだ寺である。 門を入るとこのような庭園が広がるが、我々が行けるのはここまで。 裏山のゴルフ場からは樹…

京町家の音楽会・田中家住宅

京町家を利用して音楽会が開かれたので出かけてみた。 場所は七条高倉にある田中家住宅。 演奏者は、近くにある京都市立芸術大学の学生さんたち。 フルート合奏と声楽、弦楽四重奏の3部構成で、たっぷり2時間以上楽しませてもらった。 休憩時間には、敷地…

浄慶寺Jul'25

そうかもしれない

鬼門除け・東中筋通正面

古来、陰陽道では北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。 この鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、裏鬼門の守護には石清水八幡宮が当て…

仏光寺Sep'25

久しぶりにこのお寺の前を通ったが、論調というかテイストは変わっていなかった。

狸谷不動尊(狸谷山不動院)

狸谷不動尊は厄除けのほかに、交通安全のお札で有名で、京都ではここか城南宮のお札をつけている車が多い。 地図を見ると、正式には狸谷山不動院と言うらしい。叡電一乗寺から東に向かって直線道路を歩く。途中、宮本武蔵と吉岡一門が決闘した一乗寺下り松を…

閉店・本家尾張屋

今朝の京都新聞に衝撃の記事が載っていた。 創業560年を誇る本家尾張屋が来年1月11日をもって営業を終了する(記事では長期休業)というから驚きである。 この額は蕎麦屋ではなく売店の方に掲げられているもので、たかだか100年くらいでは番付にも載らず、享…

願照寺Sep'25

いつもとテイストが違うような気がする。 お寺の関係者の実体験だろうか?

京都駅ビル・駅ピアノ

外国人にも人気の京都駅ビル。 特に西側は伊勢丹や大階段、長い長いエスカレーターがありいつも賑わっているが、反対の東側はホテルと京都劇場があるくらいで訪れる人はまばらである。 広々としたパブリックスペースがあり、駅ビルの特徴的な構造を見ること…

五右衛門風呂復活工事

藤野家住宅には60年以上前から鉄製の五右衛門風呂があった。 ずっと現役で活躍してくれたが、錆で排水溝が壊れてしまい使えなくなって15年が経った。この間、何とか再建したいと画策していたが、五右衛門風呂を造ったことがある職人さんがいなくて難渋してい…

大文字山・送り火消し炭

五山の送り火から6日後に大文字山に登った。 今回はいつものルートではなく、霊鑑寺の横から登り始め、楼門の滝や俊寛の鹿ケ谷山荘跡を通って、四辻に出るルートである。 火床から見る景色とは違い、山科や京都市南部が見渡せる。 大雨の影響で火床の一部が…

長講堂Jul'25

その通り

旧植柳小学校跡

明治2年に建てられた番組小学校の一つだが、二宮金次郎の像がなければ、ここに小学校があったことを分かる人は少ないと思う。 今は、デシュタニ 京都というタイのホテルが建っている。

誉田屋

室町界隈を代表する大店の一つ誉田屋さんで、蓄音機を聞く会というイベントにお招きいただいた。 蓄音機で聞くレコードの音色もさることながら、個人的には京町家の作りに興味を覚えた。典型的な「表屋造」の町家で、玄関を入ってすぐに店の間があり、その奥…

圓重寺Aug'25

そうかもしれない。

鬼門除け・御室芝橋町

古来、陰陽道では北東(艮)の方角は鬼が出入りする方角として、また対角線の南西は裏鬼門とも呼ばれ、ともに忌み嫌われていた。 この鬼門から鬼が入らないようにと、平安京では北東の守護として比叡山延暦寺が建立され、裏鬼門の守護には石清水八幡宮が当て…

森寛斎宅跡

幕末から明治にかけて京都で活躍した日本画家。 「勤王画家」と名付けられたからには、それなりの理由があるのだろうが、よく知らない。

篠村八幡宮

足利尊氏(当時は高氏)が鎌倉幕府討幕の旗揚げに際し、戦勝祈願をした神社。 ここから唐櫃越えか山陰道を通って六波羅探題を攻め落とした。それから数年後、建武の乱で後醍醐天皇に敗れた足利尊氏は唐櫃越を通って九州まで敗走しているが、 この神社に立ち…

地蔵盆

今年の我が町内の地蔵盆は、8月23日土曜日に執り行われた。 小学生のいる家庭はマンション住民だけになってしまったが、7,8人が参加してくれたので、1日中賑やかであった。 町内の若手(といっても40代)が中心となって朝早くから飾りつけをするのだが、 毎…

足利義輝邸跡・平安女学院

室町幕府13代将軍足利義輝がこの地に居を構えたが、松永弾正久秀に襲撃され死亡した(永楽の変)。 それ以前は、管領斯波氏の邸宅だったと案内板には書いてあるが、その実態は如何ほどのものか不勉強なのでよく分からない。 現在は明治28年に建てらえた平安…

佛教大学二条キャンパスJul'25

学生さんの公募作品だろうか? 分かるようで分からない訓語である。

亀屋陸奥

織田信長が石山本願寺(大坂)を攻めた時、蓮如上人を先頭に門徒が抵抗しその戦いは11年にも及んだ。兵糧攻めにあった時、この「松風」が密かに運び込まれ、飢えを救ったと伝わる。 京都には「松風」を製造販売しているところが他に2店舗あるが(松屋藤兵衛…