お寺

正覚庵

非公開文化財の特別公開があったので、東福寺の塔頭を訪ねてみた。 東福寺の本堂や三門も公開していたがこちらは素通りして、まずは六波羅門の南に位置する正覚庵へ。 本堂は兵庫県伊丹市にあった白洲屋敷を昭和40年代に移築したものである。 11月23日に行わ…

行列のできる滝・音羽の滝

京都一周トレイル東山コースを下見を兼ねて歩いた。 伏見稲荷大社をスタートし、清水寺でルートを降りるという文字通り京都観光の定番スポット1と2を訪れる半日コースである。 緊急事態宣言解除前でこの状態だから、これからの紅葉シーズン、どれだけの列…

青松寺

青森旅行(8月)の目的の一つは、このお寺を訪ねることにあった。 ご住職(僕らは親しみを込めて和尚さんと呼んでいる)は、本山(本門佛立宗宥清寺)での会議に参加するため、2,3か月に1回京都に来られる。その時は必ず松長で食事をされるので、いつの頃か…

伏見御堂

東本願寺の伏見別院だが、創建の経緯から伏見御坊と呼ばれている。 こちらの碑が詳しい。 鳥羽伏見の戦いのときは、会津藩がここを幕営地とし、御香宮に陣を張る薩摩藩と交戦した。徳川幕府軍の本拠地であった伏見奉行所も近い。

妙喜庵

天下分け目の戦いで有名な天王山の麓にひっそりと建つ建物は、一見すると普通の民家のように見えるが、これこそが世に名高い妙喜庵である。千利休が作った茶室の内、唯一現存する待庵があることで知られている。現在日本にある国宝に指定されている三大茶室…

興聖寺

京都で興聖寺と言えば紅葉で有名な宇治のお寺を思い浮かべるが、こちらは西陣のど真ん中に位置している。場所柄、日蓮宗だと思っていたが、江戸時代に臨済宗に改宗したとのこと。曽我蕭白の菩提寺でもあるそうな。 Wikipediaでは日蓮宗の虚応円耳によって創…

東福寺・八相の庭

東福寺方丈では、方丈を囲んで東西南北それぞれに異なるお庭が配され、八相の庭と呼ばれている。 他の禅寺に多い伝統的な枯山水とは趣が違っているが、これが昭和の作庭家重森三玲の手になるものである。 南庭 同行したM君は自宅で小さな庭を楽しんでおり、…

千姫の墓

徳川幕府二代将軍秀忠の長女で、七歳にして豊臣秀頼に嫁した千姫のお墓が知恩院山内にあるとは知らなかった。大阪城落城に際して坂崎出羽守に救出されたことが、後に坂崎出羽守滅亡の原因となったというドラマチックな逸話でも知られている。 調べてみれば、…

青蓮院青龍殿

運動不足解消を兼ね、将軍塚に登ってみた。粟田神社の横から登り始め30分で到着。降りは15分で知恩院さんの大鐘楼に辿り着くことが出来る、お手軽コースである。 この建物は青龍殿と称し平成26(2014)年に建立されたが、もともと大正2(1913)年に大日本武…

化野念仏寺

化野は、鳥辺野、蓮台野と並ぶ、三大葬送の地であった。 「あだし野の露消ゆるときなく、鳥部山の煙立ち去らでのみ、、、、」と兼好法師も徒然草でよんでいる。 毎年の地蔵盆(8月23,24日)には、8千体のお地蔵さんに蝋燭が供えられる千灯供養が行われること…

一言寺

醍醐の山麓にある、阿波内侍による創建と伝わる。 一言だけ願いをかなえてくださるというので、一心にお願いしてきた。

妙心寺Jan'21

妙心寺には46もの塔頭があるというから驚きである。そのほとんどが非公開なので、他の大寺院のように観光客が居ないので、静寂が保たれている(例外は退蔵院) 広い境内には電柱も見当たらないので、映画のロケにはぴったりである。3月7日(日)には、この…

牛尾観音

昨秋のことであるが、醍醐から高塚山を越えて石山寺までハイキングした時のこと。高塚山を下り切った場所に立派な門のお寺が。 この門は最近になって建てられたもの。 清水寺の奥の院という言い伝えもあるそうだ。 金生水(根性水?)で口を潤して、再び山道…

明智風呂

妙心寺境内に明智風呂と称する浴室が存在する。 以前公開されたときに見学したが、風呂と言ってもサウナのようなもので蒸し風呂と呼ぶのに近いかもしれない。 明智光秀の菩提を弔うために密宗和尚が作ったと伝えられ、明智光秀とは直接関係はない。

妙覚寺

織田信長の京都での宿舎は本能寺が有名だが、実は妙覚寺の方がよく利用されていたというのを、大河ドラマ麒麟がくるで知った。 これだけ広い境内なら織田軍の宿舎としては適任かとも思ったが、 高札によると秀吉の天正の地割によって現在の地に移ったことに…

妙心寺大方丈

ミンナソラノシタが スマイルボタン3.11プロジェクト を立ち上げ、臨済宗大本山妙心寺の大方丈(重要文化財)をお借りして講演会を開催する。 3月7日(日)14時から16時まで。zoomでも参加できるのがうれしい。 妙心寺の方と打ち合わせをするミナソラの代表 …

三宝院

三宝院は醍醐寺の塔頭の一つであり、今から900年以上前(1115年)に創建された。 この国宝唐門は勅使門であり、菊と桐の大きな紋が人目を惹く。 秀吉自らが縄張りして作らせたと言われる庭園。 天下を治めた武将が次々と所持したことで知られる名石「藤戸石…

醍醐寺

豊臣秀吉の「醍醐の花見」で知られる真言宗大本山醍醐寺(パンフレットには何故か真言宗の文字が載っていない)。これは国宝の金堂。 天暦5(951)年創建の国宝五重塔。京都府下最古の木造建築物である。法隆寺、瑠璃光寺とともに三大五重塔の一つとか。 総…

日野誕生院

法界寺に隣接してこのお寺は建っている。親鸞聖人はこの日野の地で産まれて、9歳で青蓮院で得度するまでこの地に住んでいた。 法界寺のパンフレットには法界寺で誕生したことになっているが果たしてどうか? 誕生院と言う名前だがここで産まれたというのでは…

法界寺

日野薬師の別名で知られる山科の法界寺は駅から15分ほど歩く郊外にひっそりと佇むお寺で、藤原北家の流れをくむ日野家の菩提寺である。この阿弥陀堂は国宝で、堂内にはこれも国宝の阿弥陀如来座像が居られる。平等院鳳凰堂に見られる典型的な定朝様式である…

松風天満宮

知恩院の華頂通りに面し、辺り一帯には浄土宗宗務庁や塔頭が立ち並ぶ中にこの天満宮がある。とはいえここは神社ではなくれっきとした浄土宗の松風院というお寺である。 恐らく明治初めに神仏分離令が出された後でも、秘かに抵抗していた名残ではなかろうか?…

東寺・ガラクタ市

東寺の骨董市と言えば、毎月21日の弘法大師の命日に開かれる市(通称弘法さん)が有名だが、こちらは毎月第一日曜に行われるガラクタ市で、業者の数も少なく扱い商品も若干異なっているように見える。 掘り出し物を見つけるために出かけたのではなく、我が家…

今年の地蔵盆・浄光寺

今年の地蔵盆は、残念ながら規模を大幅に縮小して、役員だけがお参りするお寺さんの読経だけになってしまった。 このお寺さんが例年お参りする他の4つの町内も同じ方式を取ったとのこと。 この石像は3,40年ほど前に行われた町内の道路工事で地中から出てこら…

涌泉寺

このお寺のルーツは鎌倉時代にまで遡るが、1918年に2つのお寺が合併して涌泉寺と言う名前になった。 本堂の裏手には五山送り火の一つ妙法の「法」の字があり、このお寺が管理しているそうな。 毎年8月15,16日に松ヶ崎題目踊りが行われるのだが、果たして今年…

雲龍院

7月第2週に弥山(奈良県)に登る予定だったが、大雨の影響で途中の道路が通行禁止となった。せっかく東京から来ている友人をとんぼ返りさせるのは可哀そうと、彼のリクエストで泉涌寺へ参った。その帰りに、大門の横にある雲龍院にお参りした。 いくつかある…

福寿寺

京都府北部与謝野町(旧野田川町)にひっそりと佇む山寺である。 背後にはかつて一色氏の山城があり、このお寺はその前衛としての役割も担っていたと推察する。 その名残か、お寺に続く道は非常に細い。 お寺の前には町文化財である鞭家住宅がある。建物は江…

源光寺

右京区常盤の住宅街にひっそりと佇む小さなお寺であるが、京都六地蔵巡りの一つ「常盤地蔵」が祀られている。 源義経の生母常盤御前が晩年を過ごし、お墓も残っていると伝えられている。この地一帯を常盤というのは常盤御前に因んだという説があるが(都名所…

御朱印・松ヶ崎大黒天妙円寺

左京区松ヶ崎をさらに北に歩き、五山の送り火で有名な妙法の麓にある小さなお寺。 この鳥居は神仏習合の名残か。 本堂のすぐ向こうに「法」が見える。 観光寺院でもなく、平日の午後というのに行列が出来ていたのには驚いた。都七福神めぐりの御朱印を求める…

寂光院

暮れのことであるが、岐阜から来た友人夫妻のリクエストで大原に出かけた。例年なら雪景色であってもおかしくないのだが、そんな気配はみじんもなかった。 山門をくぐると寂光院の本堂が見えてくる。平成12年に放火によって焼失したのを、往時に倣って再建さ…

嵯峨御流

今年春先のことであるが、大覚寺である会合があった。会場へ行く途中、花器や生け花に使う道具を売っている場所に出くわした。 ここがまぎれもなきいけばな嵯峨御流の本部(華道総司所というらしい)であることを体感した瞬間である。 窓際に飾られているの…