2009-01-01から1年間の記事一覧

京都アートフリーマーケット

文字通り、若い作家さんやその卵たちが出展するアートだけのフリーマーケットである。会場も、若者で賑わう三条通界隈にある、新風館や文化博物館、中京郵便局など明治・大正の建物がメイン会場となっていて、これだけでも立派なアートである。 さすが京都と…

桜に白鷺・祇園白川

祇園新橋の白川沿いは桜もあでやかで、多くの人が訪れる。吉井勇の「かにかくに」碑の前の枝垂桜ははや満開で、記念撮影の観光客が途切れたところを一枚。 巽橋は人が一杯だったので縄手のほうから白川の桜を撮った。よくみると、なんと枝の上に白鷺が止まっ…

桜開花・東山界隈

今年最初の本格的な桜を見たのは、お彼岸のお墓参りで東大谷さんへ行く途中にある知恩院さんの塔頭であった。 東大谷さんの墓地(大谷祖廟)では、桜ならぬ菊の花で「回向」の花文字がしつらえてあった。これはお墓に供えられた花で作られているようだ。 帰…

舞鶴・明倫小学校

3月14、15と京都府北部でNPOの相談会があったので、福知山、舞鶴に出かけた。田辺城(舞鶴市)の大手門前に建つこの建物は、小学校である。藩校の名をそのままとって明倫小学校と名付けられている。中に入ったことはないが、外から見るだけでも重厚な感じが…

親子丼・ひさご

祇園下河原にあるお蕎麦屋さんだが、いつのまにか親子丼が有名になったらしい。いつ通りかかってもこのように観光客の列である。高台寺圓徳院に店を構えるMさんにいわせると、以前より味が落ちたとのこと。行列ができる店はなべてこのような傾向にあるのか…

石塀小路

まるで映画のセットのような家が続いているが、本物の町並みである。国の「産寧坂重要伝統的建造物群保存地区」に含まれているので、原則開発は不可能である。京都では他に、上賀茂神社周辺、祇園新橋周辺、嵯峨鳥居本が指定されている。 元は明治時代に個人…

弁慶と牛若丸を発見!

どこへ行ったのかなあと探していた五条大橋たもとの弁慶と牛若丸の御所人形は、なんとすぐそばの木屋町の三角広場にあった。元の場所で下水管の工事をしているので一時避難をしていたのである。そのお陰で近くまで寄って撮影することができた。 よく見ると、…

梅満開の京都御所

京都御所には様々なところで梅が咲いているが、出水口から入ったところにある梅林は紅梅白梅ともに満開で今が見頃である。鶯ならぬメジロがたくさん来ていたが、写真で分かるだろうか? この木は一本の幹に紅と白の梅が咲いているという珍しい梅ノ木で、しか…

舞妓さんと四葉タクシー

観光シーズンにはまだ間があるが、高台寺ねねの道には多くの観光客が歩いていた。中でも目立つのが「変身舞妓」、素人が舞妓さんの格好をして町を散歩するのである(これを僕はにせ舞妓と呼んでいる)。事情を知らない外国人が盛んにシャッターを切っている…

藤井有鄰館

この建物は近江商人の藤井氏によって作られた、中国の古美術を中心に展示する美術館である。従って建物も中国風となっている。名前の由来はよく分からないが、山県有朋の無鄰庵のそばにあるからこの名前がついたのだと勝手に想像している。一般公開は、毎月2…

ラグビー日本選手権

東京に用事があったので日帰りで出かけた。午前中に一仕事終え、友人のM君を誘い出し昼食を。その後秩父宮球技場で開かれているラグビー日本選手権を見に行った。早明戦華やかなりし頃はチケット取りにM君達と前の日から並んだものだが、今はこの通りの入…

「画室の栖鳳」展

京都市美術館で開催中の展覧会に行ってきた。竹内栖鳳のデッサンや下絵を中心とした展示である。日本画は油絵と違って現場で描く、ということができにくいため、下絵が多く残されているのだという。それにしてもこの広い美術館の半分以上を占めるだけの下絵…

革島外科医院

昭和5年の建築なので、正確には「明治・大正」に入らないが、フランス建築風で当時としては(いまでも?)モダンな感じだったのだと思う。現在も医院や住居として使われている。 尖塔の上にあるのは、風見鶏かはたまた避雷針か?

ストリートビュー

屋根の上に何か分からない機械を積んだ怪しげな車をはじめて見た。よく見ると前後にカメラらしきものが、横にも、、、。 これはひょっとしてgoogleのstreetviewを撮影するための設備ではないだろうか!そうだとすると(勝手にそう思っているのだが)、大変貴…

かざりや 鐐

江戸時代から200年以上続いている錺(金属加工)の竹影堂のアンテナショップとして作られた。銀製品を身近に、普段使いの品として普及させようとしている店である。この寒いのに戸を開け放って職人さんが作業しているのを見ても、その意気込みの一端がうかが…

八百卯閉店

昨今京都でもシャッターを閉める店が増えてきた。 寺町二条角にあるこの店も例外ではない? 檸檬の店として余りにも有名なこの店は売り上げ不振で、というわけではないらしい。現当主が急逝し跡を継ぐ人がいないためと新聞にはあった。梶井基次郎の短編小説…

洛東の老舗料亭、旅館

京都では鴨川から東を洛東と呼ぶことが多い。一般的には東山山麓までを指すと思うが、広く山科までこう呼ばれるときもある。この店(道楽)は豊国神社への参拝客で栄えたようだが、寛永年間の創業というから370年は経過している。当主は10代目である。屋根の…

東山跨線橋

跨線橋といっても地図にも載っていない小さな小さな橋である(こせんきょうと入力して漢字変換しないのは、跨線橋が死語となっているのかあるいは変換に携わっている作業者が単に無知だけなのか、、、)。 東海道線の東山トンネルを出たところにあり(山科か…

そば処大鶴老舗

毎朝8時過ぎに通ると、右手の換気扇から白い湯気とともにかつおだしの美味しいにおいが勢いよく出ている。厳寒の朝だと特によく分かる。写真では見えないかもしれないが、、、(電柱の左の換気扇から出ているのが分かるかな?)。昼の営業だろうにこんなにも…

京都御所ゆかりの至宝〜甦る宮廷文化の美

京都国立博物館で開かれている特別展を見た。京都御所や桂離宮だけでなく、皇室とゆかりの深い寺々が所蔵する下賜された絵画、工芸品など雅な宮廷の文化の一端を見ることが出来る。 歴代天皇の宸翰や愛用の蒔絵の硯箱、桂離宮の釘隠し、引き手、狩野派による…

節分会・法住寺

後白河法皇陵を守るように建てられているのがこのお寺である。場所は三十三間堂の東隣、北には養源院がある。国立博物館への道すがら、ほら貝の音色に引かれて境内へ。 折りしも節分の追儺式の最中で、さほど広くない境内は参拝客であふれていた。おなじみの…

月琴

通りかかった食堂に入ったら、壁にこのようなものが懸けてあった。聞けば、月琴というとのこと。Wikipediaで調べたところ、中国、日本、越南の伝統楽器と記されていた。弦は4本で、三味線というよりは琴に近いのかもしれない。周りの螺鈿模様は、この店の奥…

同志社大学江湖館

同志社大学が町家を買い取ってサテライトキャンパスとしている。 元は商家であったようで、通り庭や井戸の跡など、完全な京都の町家である。 ここで「学びなおし講座」が催されており、その講師として出かけた。町家をなるべくそのままにして残そうという意…

インドネシア異聞・最終回

ジョクジャの野外劇場で行われた舞踏劇で演目はラーマヤーナ。インドの叙事詩と習った記憶があるが、この地はもともとヒンズー教であったことに関係があるのかもしれない。 それほど大掛かりでなくとも、大きなレストランやホテル、あるいは王宮といった観光…

インドネシア異聞3

インドネシアの料理は概して炒め物が多いが、思ったほどには辛くはなかった。主食は米で、鶏料理が多い。 ジョクジャカルタのレストランでの昼食。バイキングである。 レストランでは普通にビールが飲める。国産のBINTANGビールが主であるが、日本のビールを…

鴨川の鳥たち

秋から冬にかけて、鴨川には様々な鳥たちがやってくる。 まずはお馴染みのマガモ。鴨川の名前の由来はこれか?向う岸は先斗町歌舞練場。 シラサギはいつも孤独でじっと獲物を狙っている。 遠くて見えづらいが、アオサギである。ゴイサギは今日は姿を現してい…

牛若丸がいない!?

♪きょうの五条の橋の上、 大の男の弁慶が、 長い長刀振り上げて、 牛若めがけて切りかかる、、、♪ 999本の太刀を強奪した武蔵坊弁慶が1000本めを狙って待っていたところに、牛若丸が通りかかり反対にねじ伏せられてしまい、それ以降牛若丸の忠実な家来となっ…

革堂

寺町竹屋町にある天台宗の小さなお寺である。正式名は行願寺。 僕の幼い頃は「こうどうさん」と呼びそんなに有名でもなかったが、西国三十三箇所めぐりが盛んになってから参拝客が増えだし、境内も随分整備された。最近ではバスツアーの客も多い。 西国三十…

本因坊発祥の地

寺町夷川に立派な御影石の碁盤が登場した。江戸初期にこの地に住んでいた碁の強いお坊さんが、江戸幕府に招かれて住んでいた坊の名前を取って、本因坊算砂と名乗ったのが本因坊の始まりとされる。碁盤の両側には腰掛け石もあり除幕式にはプロの対局があった…

インドネシア異聞2

インドネシアというとどうしてもイスラムを意識してしまうが、前にも書いたように緩やかな信仰であるようである。ここは世界遺産として有名なジョクジャカルタのボロブドール遺跡であるが、仏教寺院であるにもかかわらず多くのインドネシア人が参拝(見学?…