藤井右門宅跡





今日のテーマはこの町家ではなく、その隣にあるこの大きな石碑である。江戸中期の尊王論者藤井大和守直明(右門)の屋敷があった跡で、現在はこのような顕彰碑(大正十二年)が建っている。高札によると斜め向かいに薩摩藩邸があった関係で(現在は同志社大学)、この屋敷が志士たちの謀議の場所として使われたようである。僕自身は藤井右門なる人物は全く知らず、この石碑で始めてその存在を知った。いろいろと史跡を訪ねて歩くと、このように初見の人物にも多く出会う。自分自身の無知を棚に上げるつもりはないが、京都の歴史は奥が深いということがいえよう(当たり前ではあるが、、、)。
この石碑はビルを建設する際に邪魔だったはずだが、このように敷地の一角を確保されている。京都ではビル一つを建てるにも、結構気を使わなくてはならないようである。