膏薬辻子

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京都の町中では、路地(ろーじ)とか辻子(ずし)とか呼ばれる、家と家の間に通じる細い道をよく見かける。幕末に刊行された書籍(京羽津根)には、91ヶ所もの辻子が紹介されている(京都検定公式テキストブックの受け売り)。
路地と辻子の違いには諸説ありそうだが、通り抜けることのできるのが辻子、行き止まりになるのがろーじだと思っている。僕の小さい頃には近所にもたくさんあり、よく遊んだものである。長じて、町家が取り壊されるとともにろーじや辻子も姿を消していったが、それでもまだかなりの数が残っているのではないだろうか。
f:id:mfujino706:20210311114001j:plainその内の一つが、この膏薬辻子である。四条通新町を西に行き、郭巨山の会所の手前を左に折れたところから始まる、クランクになった細い道である。
四条通から南を見たところ。正面は杉本家の塀の一部。

f:id:mfujino706:20210311113838j:plain西から東を見る。右側の塀は杉本家。

f:id:mfujino706:20210311114129j:plain膏薬辻子のいわれはこちらを参照されたし。f:id:mfujino706:20210311114050j:plain
現在コインパーキングになっているところは以前民家があったので、この辻子は非常に暗くて入りづらい印象があったが、最近では有名になったせいか物販の店舗も増え、明るくなってきた気がする。